覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『谷川健一全集 第七巻 沖縄三』=谷川健一・著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。



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今週の本棚:持田叙子・評 『谷川健一全集 第七巻 沖縄三』=谷川健一・著
 (冨山房インターナショナル・6825円)

 ◇掘りあてた「海の民族」のこころの歴史
 このたび、『白鳥伝説』や『青銅の神の足跡』『魔の系譜』『常世(とこよ)論』『日本の地名』などの著作で知られる一九二一年生れの民俗学者谷川健一の全集全二十四巻の刊行が完結に近づいた。論考篇はすべて刊行され、残るは雑纂(ざっさん)と総索引よりなる二巻のみ。それを銘じ、この民俗学者の特色をよく表わす最新刊−−『渚(なぎさ)の思想』を中心に、『甦(よみがえ)る海上の道・日本と琉球』「太陽の洞窟」「雨を呑(の)むもの」「海神の贈り物」「束(つか)の間(ま)の島」「風に生きる」などの諸篇をおさめる第七巻の南島論を、ごいっしょにぜひ開いておきたい。

 全篇を通じ、柳田国男折口信夫の名がよく出てくる。それもそのはず、フィリピン沖に発して北上し、日本列島をはさみ打ちするように太平洋と日本海側の多くの海岸を洗う黒潮の動向に注目し、それこそが南方より種々の動植物ひいてはモノや文化をもたらし、日本文化の基層を形成したとする谷川の<黒潮民俗学>には、柳田と折口が先駆的に特徴的に唱えた、日本民族海上移動説が、そしてその説にもとづく古代地図が大きく関わる。
 柳田と折口はその学問のはじめより、日本民族は南方から稲をたずさえて海上を北へと航行し、この列島を見いだして次々棲(す)みついた移住民であると考えていた。つまり日本人とはもともと海洋民であり、ながく海をさすらい旅した畏怖(いふ)とあこがれの記憶こそ、民族のこころの歴史の起源に横たわる、ゆたかな情操の泉であると看破した。

 ダイナミックである。私たちの内奥にねむる遺伝子としての海洋性を深く掘りあて、それまで重視されてきた内陸の歴史に対し、海流のただ中に位置する群島としての日本が当然もう一つ持つ、海との関わりの歴史を樹立した。海が創造する文化と信仰に注目した。

 列島の自然条件を考えれば、しごく合理的な思考だけれど、文字記録の証拠が希少。ゆえに渡来説は彼らの壮大な仮説、幻夢に近いものとして、放置されてきた傾向がある。このダイナミズムと詩的感性を谷川健一はまさしく受けつぎ、海の民俗学を生産的に展開する。
 とりわけ柳田の晩年の学問的蜃気楼(しんきろう)とされる大著『海上の道』の構想を引き受け、沖縄本島および先島諸島を日本人の祖の早くに棲みついた一つの原郷と目し、一九七〇年代よりさかんに南島を旅した。海から来る神を拝する巫女(みこ)に会い、海流をよく知る漁師の話に耳かたむけ、海べりの断崖に太陽信仰の聖地を探し、岩につかまって洞窟に這(は)い上がった。体を張った長年の調査により、黒潮の数種のルートが日本本土と南島、朝鮮半島、中国大陸とを融通無碍(ゆうづうむげ)につなぎ、文化が北上し南下する流動的な古代地図を具体的に示した。この地図上で、本土は決して先端文化の中心に位置しない。中心・中央が周縁を文化的に支配するという概念自体が、なし崩しとなる。谷川の社会思想の真骨頂の表われでもあろう。

 こうした<海上の道>文化を説くにさいし、多数の史書や神話伝説、最新の発掘調査の成果、生物学地理学も博捜されるけれど、何といっても魅惑的なのは、その背景に壮大な交響曲のように海に生きる人々の肉声がひびき、書物の知識を裏打ちして、いきいきと海の古代を現前させる点。美しいエピソードが多い。

 古代の木の舟をほうふつさせるサバニに谷川と同乗した老女は、おびえる旅人のために舟を守る祈りの呪歌をうたいつづけた。珊瑚(さんご)礁に白波が連続してよせるさまを、地元の人は「糸(いつ)の綾(あや)」と呼ぶ。なんと詩的なことば!


 与那国島の岩山を案内してくれた若者は、折しもかかった大きな虹を見て、「アミヌミヤー」と叫んだ。あとで古書を調べると、それはどうやら雨を呑むものという意味で、天の蛇神として雨を支配する、虹への畏怖を表わすらしい。

 長崎平戸の海辺には「家船」が多い。船を家として暮らす。ある「家船」の老漁師の妻は、夜明け前の海を遠い漁場めざして夫婦で櫓(ろ)をこぎ渡った若い日々をふり返り、「それは、それは、ナンギじゃった」とつぶやく。

 どの行間からも、潮風が匂う。読んでいると、波にぬれた砂をふむ感覚がよみがえり、足の裏が熱くなる。結句、谷川健一とはたぐいまれな現代の海の詩人なのではないか。熊本県水俣市の漁村に生まれ育ったこの人は生来、海への感性を濃くもつ。それを軸とし、民間伝承を通して「日本人の意識の根源」の青い海へとさかのぼり、はるかな「海の呼ぶ声」を聴こうとする、優れた詩人学者なのだ。
 その詩性のひときわ輝くのが、本巻の中核をなす『渚の思想』の諸篇。ここで谷川は、こよなく渚を愛す。人と海との関わりを象徴する場として、現世(陸)と他界(海)の接点として、つまり神と人間と自然の交渉する場として。多くの渚をはらむ複雑な長い海岸線こそ、日本列島の風土と文化のシンボル。なのに今やコンクリートで固められ、海と陸のあわいのこの美しい円環的世界は、滅びつつある。「陸封」される私たちの不健全を説く渚の詩人の批判にも、おおいに耳を傾けたい。
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『谷川健一全集 第七巻 沖縄三』=谷川健一・著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120812ddm015070015000c.html

http://www.fuzambo-intl.com/tanigawa.pdf

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