覚え書:「そこが聞きたい 市民支える『アマチュア』感覚=大江健三郎」、『毎日新聞』2012年8月27日(月)付。



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そこが聞きたい 市民支える「アマチュア」=大江健三郎

 脱原発を訴える市民活動が規模を広げている。作家の大江健三郎さんは他の作家らと共に、発起人や世話人として脱原発を目指す運動に取り組んでいる。エッセー集「定義集」の刊行を機に、知識人や文学者の社会運動におけるあり方、今伝えたい言葉などについて聞いた。【聞き手・棚部秀行、写真・梅村直承】

文学者の社会運動
  −−大江さんは脱原発でもに呼びかけ人として参加しています。デモをはじめとする原発を巡る運動の現状を、どのように見ていますか。
 ◆現実の仕事の場でしっかり仕事をした人たちがリタイアし、「アマチュア」として原発問題について発言しています。僕より少し若い世代、65〜75歳くらいの人たち。デモや議論の場には、そういう人たちがたくさん来ておられる。作家の僕も、「アマチュア」として参加しています。専門の仕事をしてきた人が自身の専門を離れ、社会問題を正面から勉強しよう、理解してみようとする。そしてどんどん発言する。お子さんの将来を思って参加しているお母さん方も含めて、日本の市民運動の水準は上がり、しっかりしていると感じます。
 −−「アマチュア」とはどのように考えればいいでしょう。
 ◆好きでやっている人、という方の意味ではありません。私の友人の文化評論家、エドワード・サイードが「アマチュアの知識人」という定義をしていました。サイードは「知識人とは何か」(平凡社)のなかで、〈現代の知識人は、アマチュアたるべきである。アマチュアというのは社会のなかで思考し憂慮する人間のことである〉と書いています。専門を離れたアマチュアの知識人が、今後の社会で有力な発言者・働き手になると彼は言います。
 僕は日本の社会に、こういう人は少ないと思っていた。けれど、脱原発の運動では、一番頼りになる存在となっています。金曜日に続いている大きなデモ、小さな集会で、若い人のチューターの役割を果たしています。いいアマチュアとしての知識人が社会に出ていると思います。
 −−大江さんは震災、原発事故後に小説の執筆を開始しています。どのような小説になりそうですか。
 ◆私という小説家が、どのような本を読み、家庭の問題も持ち、どんな気持ちでデモに行くかが出発点です。確かに小説だが、同時進行の晩年の記録のようでもある。「晩年様式集」というタイトルで文芸誌に毎月連載しています。人生の最後の今を生きるスタイルを考える、という意味で名付けました。連載は15年ぶりです。

モラル壊した原発
 −−先日刊行された「定義集」(朝日新聞出版)について教えてください。2006年から6年間、ご自身がこれまで出合った言葉の数々を書きつづった評論的なエッセー集ですね。
 ◆僕は現実社会でと同じほど、読んできた本によってさまざまなことを発見した人間です。それも独学で勉強してきた人間に何が重要だったかを若い人に伝えたいと思いました。本全体について何かを言うより、そのほんの中から自分が引きつけられ刻みつけられている、一つの、一行の言葉を選ぶ。具体的な本の全体を背景にして、たいてい古典か先生か友人の本ですから、思い出を含めて短く書く。それが人生の全体で学びとった文化の「定義見本帳」なんです。その言葉を発した人物がどのような人であるのか。戦後の新制中学で教わった、民主主義を田舎から上京して勉強してやろうと思った僕が、どんな本を読んだか正直にさらけ出した、卒業リポートのようなものです。自分が教育を受けた言葉を楽しみながら70ほど書いています。
 −−源氏物語から魯迅ドストエフスキー、レビストロース、フラナリー・オコナーらの言葉が体験と共に紹介されています。現在最も大事な「定義」とは何だと考えますか。
 ◆僕の大きい脱原発の集会で、僕は「私らには本質的に大切なモラルがある」と言いました。それは次の世代が生きる社会、世界を壊さないということです。私らの前の長い長い世代は、この地球に今の世代が生き続けることを可能にしてくれた。なによりこれを保たねばなりません。福島第1原発の事故で、そこに住めず作物をつくれぬ地域ができた。次の世代がそれこで生きることを妨害している。政治家や実業家、官僚、そして全市民に、回復させる義務があります。次世代が生きられる世界を残す、生きてゆく自由を妨げない。それが人間のなにより本質的、根本的なモラルです。原発はそれをブッ壊す。それが現代文化を考える上でもっとも重要な定義だと考えます。
 そのことを文学の世界で最もうまく言っているのはミラン・クンデラというチェコスロバキアからフランスに亡命して、もう83歳になる。彼は、自分が考えている本質的に一番大切なモラルを作品して提出するのが、作家の最終の仕事だと言っています。

おおえ・けんざぶろう 愛媛県生まれ。東京大文学部仏文科卒。大学在学中の1958年、「飼育」で芥川賞。94年、ノーベル文学賞受賞。著書に「万延元年のフットボール」など。現在新たな小説を執筆し、戦後民主主義憲法を根幹に置いた活動を続けている。

エドワード・W・サイード(1935〜2003)。エルサレム生まれ。パレスチナアメリカ迅。エジプトに亡命しアメリカで学んだ。パレスチナ問題に積極的に発言し、代表作「オリエンタリズム」(78年)では、西洋による東洋の認識方法を批判的に検証。知識人の必要性を説き続けた。
    −−「そこが聞きたい 市民支える『アマチュア』感覚=大江健三郎」、『毎日新聞』2012年8月27日(月)付。

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