覚え書:「引用句辞典 不朽版 政治家・橋下徹=鹿島茂」、『毎日新聞』2012年8月29日(水)付。



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引用句辞典 不朽版 政治家・橋下徹 鹿島茂

この男は常に大衆を味方に持つであろう。この男は宇宙に確信を持っているように自分に確信を持っているからだ。それが大衆の気に入ることなのである。大衆は断言を求めるので、証拠は求めない。証拠は大衆を動揺させ、当惑させる。大衆は単純であり、単純なことしか理解しない。大衆に対しては、いかにしてとか、どんな具合にとか言ってはならない。ただ《そうだ》、あるいは《そうではない》といわなければならない。
アナトール・フランスエピクロスの園大塚幸男岩波文庫


確信と断言を大衆は求め
懐疑主義は影を潜める

 長い間、日本の大衆にとって、政治は「どうでもいいこと」のひとつであった。選挙に行こうが行くまいが、自民党に投票しようが社会党に投票しようが、結果はいつも同じ自民党単独政権。変化は目だったかたちでは現れず、だったら、選挙なんか行くだけ無駄ということになったのである。
 変化が現れたのは、衆議院小選挙区制に変わり、小泉政権が誕生してからである。
小泉純一郎元首相は、白か黒かのオセロ・ゲームとなる小選挙区制を最大限に利用する術を心得た日本では珍しいタイプの政治家であった。
 というのも、問題設定を「《そうだ》、あるいは《そうではない》」という二者択一に落としこむことを得意とし、「いかにしてとか、どんな具合にとか」いう問いの設定は意図的に回避したからである。
 この「《そうだ》、あるいは《そうではない》」というかたちの問題設定が、自民党民主党かという小選挙区にぴったりとフィットしたのだ。マスコミを巧みに誘導して、テレビに年中顔を出し、わかりやすい敵(派閥とか抵抗勢力)をつくり、その敵に合わせて自分のイメージをその都度、自在につくりあげた。
 しかし、なによりも大衆をひきつけたのは、なんだかわからないが、やたらに「確信を持って」いることと、歯切れのよい「断言」を連発したことだろう。
 ここにおいて、大衆はようやく「わかりやすい政治家」「結果を出そうとする政治家」を見いだして喝采を送ったのである。その結果が自分たちの利益に反するものであることなどまったく意識に入れずに。
 さて、民主党政権も三年となり、今秋か、さもなければ来年早々にも総選挙ということになりそうな気配であり、橋下新党、小沢新党を含めて、それぞれの政党や党派が選挙態勢に入りつつあるが、「大衆を味方」にひきつけるー点において、橋下徹大阪市長はやはり一頭地を抜いている。「大衆は断言を求めるので、証拠は求めない」ものだからである。民主党の打ち出したマニフェストが全部空手形に終わった苦い経験などコロリと忘れて、有権者は橋下新党の目新しい製作に快哉を叫ぶかもしれない。
 だが、そうした点ではたしかに有利だとしても、橋下新党には決定的な弱点がある。手駒がそろわないということである。民主党自民党でさえ人材難なのである。橋下新党に人材が集まるとは思えない。その他の政党からの流入者はかなり出るだろうが、衆議院の多くの選挙区で候補者を擁立するとなると、そう簡単にはいくまい。
 であるからして、そこから割り出される結論は次のようなものである。橋下新党はかなり躍進するだろうが、マスコミが囃し立てるような「一気に政権交代」などということは起こらず、民主とじみんの痛みわけという、おもしろみに欠ける結果に終わるのではないか? さらにいうなら、民主党政権三年という「慣れ」の感覚により、民主党を「保守」と見なす風潮がすでに現れてきているから、「とりあえず現状で」という思考が働いて、民主党が第一党という以外な答えが出てくるかもしれない。
 アナトール・フランスエミール・ゾラとほぼ同時代の作家だが、文学史的には二十世紀文学に分類され、深い教養に裏打ちされた懐疑主義を特徴とする。そのアナトール・フランスの面目躍如なのが『エピクロスの園』の「懐疑主義者」についての箴言である。
 「われわれはわれわれの精神とは異なった具合に出来ている精神を持つ人々を危険人物と呼び、われわれの道徳を持たない人々を不徳漢と呼ぶ。われわれはわれわれ自身の幻想を持たない人々を懐疑主義者と呼ぶ、それらの人々はわれわれのとは別の幻想を持っていないかどうかを考えもしないで」
 断言と懐疑だったら、私はアナトール・フランスにならって、断固、懐疑を選ぶだろう。(かしま・しげる=仏文学者)
    −−「引用句辞典 不朽版 政治家・橋下徹鹿島茂」、『毎日新聞』2012年8月29日(水)付。

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