『テロリズム』とは、自分の国以外のものがとる行為についてかぶせる言葉だ
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「テロリズム」という言葉の使い方を彼(引用者注……ノーム・チョムスキーのこと)は分析して、国家権力の責任者が、自分たちの側の活動について、この言葉をかぶせないという特色をあげる。
もともと、テロの支配という言葉は、フランス大革命について使われる。しかしそれは後の時代に定着した用例であって、フランス大革命の推進者たちは、自分たちがテロリズムを実行しているとは思いはしなかった。
ナチスも、自分たちがしていることを、テロリズムとして特徴づけることをしなかった。
二度の大戦において、ヨーロッパ諸国の支配層は、自分たちの方法をテロリズムとは言わなかった。
そしてアメリカ合衆国も、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争に際して、自分たちの方法をテロリズムとは言わない。もともと、その前から、アメリカ合衆国がラテンアメリカに対して用いている計画的暴力行為をテロリズムと呼んだことはなく、アメリカ合衆国国民は、自分たちの国がテロリズムを実行しているとは考えなかったし、そう言いもしない。
「テロリズム」とは、自分の国以外のものがとる行為についてかぶせる言葉だ。
−−鶴見俊輔「監修者あとがき ノーム・チョムスキーについて」、鶴見俊輔監修、チョムスキー『Noam Chomsky ノーム・チョムスキー』リトル・モア、2002年、158−159頁。
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ちょとすいません。このところ割と締め切り関係の案件の山積と、体を動かし時間を圧迫するリアルな仕事も忙しく、ちょとしたことだけしか言及できませんが、お許し下さいマシ。
2011年9月11日の同時多発テロ事件の翌年、チョムスキーの講演、質疑応答、インタビューをまとめた本の解説からなのですが、この解説が監修者・鶴見俊輔さんの手によるものです。
そのこと自体にも瞠目するのですが、半世紀近く前のヴェトナム戦争の頃、詩人の谷川雁が東京にチョムスキーを招き、「谷川雁は機転のきく男だった。びっしりつまった予定表をかえて、急に私に電話してきて、チョムスキーと食事をする機会をつくった。チョムスキーと親しく会ったのはこの時だけである」(157頁)ということになったそうです。
この日から鶴見さんは「彼が、自分の立場をあきらかにするだけでなく、本気でやる姿勢をもつ人」(157頁)であると知ったと記しております。
さて、解説のなかで、チョムスキーの思想と実践の核のひとつである部分を鶴見さんが指摘したのがうえに引用した一節です。
「国家権力の責任者が、自分たちの側の活動について、この言葉をかぶせない」もののひとつが「テロリズム」。
本来的にはそれでありながら、そうではないという欺瞞で馴化していくのが権力の本質ですから、その意味では、これはそう/これは違うという権力の言語設定ほど、恐ろしいものはないのかも知れません。
あらゆる暴力が「テロリズム」の一形態とすれば、どのような「大義」をかかげようとも、五十歩百歩は免れない。
「『テロリズム』とは、自分の国以外のものがとる行為についてかぶせる言葉だ」
……って寸法です。
チョムスキーは、ヴェトナム戦争以来、アメリカの軍事介入の「正義」の欺瞞を指摘して、利権がらみの「テロリズム」と喝破しましたが、これはテロや暴力の問題だけに限定されるものでもないし、アメリカだけに限定されるものでもありません。
あらゆる「正義」の「ラッパ」には懐疑すべきかなぁと。