覚え書:「『メディアと知識人 −−清水幾太郎の覇権と忘却』中央公論新社 著者 竹内洋さん」、『毎日新聞』2012年9月2日(日)付。

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「メディアと知識人 −−清水幾太郎の覇権と忘却」中央公論新社・2415円
著者 竹内洋さん

転向論の枠組み超えて
 清水幾太郎の名は、ある世代以上には広く知られていよう。社会学者で、戦後の講和論争や「60年安保闘争」を代表する知識人。なおかつ、晩年に核武装論を唱えるなど大きく「右旋回」した人物だった。
 こうした思想の変化は従来「迎合」か「抵抗」かという転向論の枠組みで説明されてきた。だが、それでは隠れてしまう面があると著者はいう。
 清水の場合、キーワードは「差違化」だ。若い頃に東大教授への道を断たれた彼は、丸山真男のような「正系」知識人に対抗する必要があった。戦前から新聞・雑誌に執筆した清水は、戦略的に「華々しい」言論を展開していったとみる。
 「知識人にも、社会の中での『立ち位置』があります。自分の位置を高めようとゲームを戦っている面があり、政治的な駆け引きもあるのです」
 清水の行動を知識人界の覇権を目指す「転覆戦略」として読み解くあたりは、圧巻の面白さだ。背景として昭和初期以降、官学教授らアカデミズムの知識人よりも、ジャーナリズムを舞台に活躍する「メディア知識人」が権威をもつようになったという指摘も目を引く。
 「今はコメンテーターなどテレビ文化人のほうが影響力があるかもしれません。彼らを知識人と呼べるのかは疑問ですが」
 執筆の動機には、ある種の義憤もあった。同時期に論壇で活躍した丸山や福田恆存吉本隆明らと清水を比較し知識人を類型化しているが、「神格化」された丸山らに対し、清水は単に「転向知識人」として批判を一身に浴びた。
 「実は、日本の左翼インテリの多くが高度経済成長を通じ、実質的にはてんこうしました。それなのに、清水だけが『いけにえ』のように指弾されたのは気の毒です。書いたものをよく読むと、それぞれの時点で彼は、自分なりに総括したうえで主張を変えています」
 社会学の分析手法を駆使しつつ、文章は自在で読みやすい。資料の奥に人間・清水の息遣いを探る姿勢が印象的だ。
    −−「『メディアと知識人 −−清水幾太郎の覇権と忘却』中央公論新社 著者 竹内洋さん」、『毎日新聞』2012年9月2日(日)付。

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