覚え書:「ニュースの本棚:デモと代議制 宇野重規さんが選ぶ本 議会制と民主主義は異質か」、『朝日新聞』2012年10月14日(日)付。
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デモと代議制 宇野重規さんが選ぶ本
[文]宇野重規(東京大教授〈政治思想史〉)
■議会制と民主主義は異質か
首相官邸と国会議事堂を包囲するかのように集まった反原発デモに対し、あたかもそれがなかったかのように振る舞う首相と議員たち。このコントラストはあらためて私たちに民主主義とは何かを考えさせた。
国民の代表である議員を通じて意志決定を行うことを、代議制民主主義という。教科書的にいえば、すべての国民が集まることが不可能である以上、その代替策として採用されたのが代議制である。しかしながら、国会は本当に国民の多様な声を反映しているといえるのか。誰しもがそのような疑問を抱いた瞬間であった。
そもそも議会制と民主主義は異質だという議論がある。古代ギリシャでは、すべての市民が集まって決定を行う民会の制度に加え、あらゆる公職は抽選によって選ばれていた。それと比べれば、選挙によって選ばれる議員たちによる議会制は、元々民主主義とは別のものだというわけだ。
■「喝采」と討論と
このような議論をもっとも先鋭化させたのが、ドイツの思想家カール・シュミットの『現代議会主義の精神的地位』である。シュミットにいわせれば、議会制の本質は独立した議員による公開の討論にある。これに対して民主主義とは、一つにまとまった人々の声であり、いわば喝采である。
両者は本来異質であると考えたシュミットが、いまや矮小(わいしょう)な取引の場と堕した議会に対し、直接的行動主義が台頭しつつあると警告したのは1920年代のことであった。議会制の精神的基盤を問い直したシュミットの議論は古くなっていない。
代議制民主主義の危機を考察した古典といえば、カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』がある。労働者の貧困が深刻な問題になっていた19世紀半ばのパリに、マルクスは滞在する。不満を募らせる議会外の人々と、党派対立に明け暮れる議会の対立が、結果的にナポレオン3世のクーデタをもたらしたとマルクスはいう。
立ち上がった労働者たちの蜂起に対し、議会内諸政党は秩序派を形成してこれを弾圧する。とはいえ、その秩序派もやがて自滅の道を歩む。両者の共倒れを利して台頭したのが、ナポレオン1世の甥(おい)であった。いわば、社会の諸対立をよく代表しえなかった代議制の矛盾がこの事件をもたらした。そう読み解くマルクスの分析は鮮やかである。
ある意味で、自らを批判する外部の声を否定したときに議会制は自壊する。かといって、立ち上がった人々の思いも、それが政治的に適切に反映されることがなければ、いつか行き詰まる。代議制と直接民主主義が相互を否定し合うとき、民主主義そのものが危機となるという過去の教訓から何かを学ばなければならない。
■面倒と向き合う
その意味で、年越し派遣村で知られる湯浅誠の『ヒーローを待っていても世界は変わらない』は興味深い。官邸での経験を踏まえ、現在の拠点である大阪の現状を論じた湯浅は、民間の運動と行政の論理の違いや、利害を調整する民主主義の面倒くささを強調する。
それでも湯浅は、「自分たちで決める」のが民主主義だと説く。主権者である私たちが自ら動き、社会をつなぎ、政治家や行政を動かしていく。そこにしか答えはないだろう。
◇うの・しげき 東京大教授(政治思想史) 67年生まれ。著書に『〈私〉時代のデモクラシー』など。
−−「ニュースの本棚:デモと代議制 宇野重規さんが選ぶ本 議会制と民主主義は異質か」、『朝日新聞』2012年10月14日(日)付。
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http://book.asahi.com/reviews/column/2012101500003.html