ひとりのふたをする者(リッダイト)および覆いをかける者(キャピスト)として



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 彼ら(一パーセント)は、私たちに要求が欠けている、などと言っています……たぶん彼らは知らないのでしょう、私たちの怒りだけで十分に彼らを破壊するに足りるということを。それでもここで私はいくつかの「革命を前にした」考えを皆さんに提示して、ともに考えていただきたいと思います。
 私たちは、不平等を生産するこのシステムにふた(リッド)をしたいリッダイトだ。
 私たちは、企業と個人による富と財産のとめどない蓄積に覆い(キャップ)をしたいキャピストだ。
 ふたをして覆いをかけたい者(リッダイトとキャピスト)として、私たちは次のことを要求します。
 一つ。企業活動における重複所有の禁止。たとえば、武器生産企業がテレビ局を所有した入り、鉱山会社が新聞を発行したり、企業が大学に資金を提供したり、製薬会社が公共の福祉健康予算をコントロールしたりすることがあってはならない。
 二つ。企業活動における独占所有の禁止。つまり、ひとつの企業は市場で一定の株しか所有することができない。
 三つ。天然資源や基本的な社会設備、たとえば、水の供給や、電気、健康、教育などは私有化されてはならない。
 四つ。あらゆる人に住む場所と、教育と健康保障の権利が認められなくてはならない。
 五つ。親の富が子どもに引き継がれてはならない。
 この戦いは、私たちの想像力をふたたび喚起してくれました。どこかでいつのまにか資本主義は、正義の概念をたんに「人権」を意味するものに矮小化してしまい、平等を夢見ることを罰当たりだと貶めてきました。私たちが戦っているのは、システムを改良しようとしていじくるためではない、このシステムそのものを置き換えるためなのです。
 ひとりのふたをする者(リッダイト)および覆いをかける者(キャピスト)として、私は皆さんの闘いに挨拶を送ります。サラーム、そしてジンダーバード。
    −−アルンダティ・ロイ(本橋哲也訳)「帝国の心臓に新しい想像力を−−ウォール街占拠運動支援演説」、『民主主義のあとに生き残るものは』岩波書店、2012年、5−6頁。

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インドの作家・アルンダティ・ロイ女史が、2011年11月16日、「帝国の心臓に新しい想像力」と題し、ウォール街選挙運動を支援するスピーチをしました。

冒頭に掲載したのはその末尾からです。

日本では、不正義を指摘する「声」を「流行性感冒」の向きに受容するきらいがありますが、それはまさに「帝国」によって利益誘導された見方でしょう。

人権が意味する者はたんなる“パイ取りゲーム”としての「正義」概念とは異なるし、平等を夢見ることは「罰当たり」なことではない。

想像力を更新する必要がありますね。