覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『泉鏡花 −百合と宝珠の文学史』=持田叙子・著」、『毎日新聞』2012年11月04日(日)付。




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今週の本棚:川本三郎・評 『泉鏡花 −百合と宝珠の文学史』=持田叙子・著
 (慶應義塾大学出版会・2940円)

 ◇知られざる鏡花像をたおやかに

 明晰(めいせき)であるだけではない。評論の世界でめったに見られない美しい文芸評論。

 泉鏡花への深い愛情に支えられ、これまであまり語られてこなかった鏡花の魅力を、次々に発見してゆく。何よりもまずイメージ。

 暗く湿った森。女どうしのひそやかな睦(むつ)み合い。神秘的なりんどうの花のなかを走る鉄道。貴婦人がまとう紫色の服。駒下駄(げた)を履いた愛らしい芸妓(げいぎ)の買い求める飴(あめ)細工。旅する青年に見知らぬ美女が口うつしする栃(とち)の実の餅。優しい姉の指にはめられた裁縫指輪。雛(ひな)祭りに娘たちが飾る雛と緋毛氈(ひもうせん)。

 鏡花の作品を小品に至るまで丁寧に読みこみ、これまで隠されていた香りや匂いを感じ取ろうとする。みごとなイメージの万華鏡。性急に作品を解釈するより鏡花文学という秘密の花園に静かに入り込み、そっと花を摘み取る。まるで鏡花に捧(ささ)げられた花束のよう。

 鏡花文学における水の重要性はつとに指摘されているが、著者は一歩踏み込む。鏡花の描く森は暗く湿っていて、そこには苔(こけ)や茸(きのこ)が隠れるように息づいていることに着目する。そして、この森の描写は、同時代の南方熊楠(みなかたくまぐす)と明らかに交感しているという。

 鏡花と熊楠が同じ流れで語られるだけではない。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、鏡花の短篇『魔法罎(びん)』に影響を受けたのではないかという驚くような推論もある。

 とかく前近代的、日本的と思われている鏡花だが、意外なことに鉄道(汽車)をよく描いたという(知らなかった)。鏡花の主人公には汽車から降り立つ旅客が多い。その汽車はしばしば異界へと通じている。

 一見、前近代に浸されているように見えながら鏡花には近代人の視点がある。主人公に目立って科学者や医者が多いのはそのあらわれ。湿った森を描きながら他方、虫眼鏡で花を観察する科学少女も登場させる。科学の知と神秘への畏(おそ)れが溶け合う一瞬こそを鏡花は大事にする。

 明治期の文学者の多くが男女の情愛、あるいは男性どうしの友情を描いたなかで、ひとり鏡花は女性どうしの友愛に着目したという指摘も新鮮。姉と慕う女性に優しくされたいと思う年下の女性の愛らしさ。姉妹愛はときには同性愛の匂いにも包まれる。

 花柳小説の名手といわれながら鏡花は、男女の「閨(ねや)の中」は描かない。「美男と艶な芸妓をしきりに描きながら実は、鏡花は世間一般の異性愛にはかたく背をそむけている」。男女の性愛にかわって鏡花が描くのは、女性どうしの邪心のない共寝。
 長篇『星女郎』の姉妹愛について著者は書く。「特に撫(な)で、さすり、ささやきあいキスする姉妹のふとんの中の体温は、彼(鏡花)が唯一みずからに許す肉欲的な描写として、注目される」。確かにその通りだ。

 純日本的と見られがちな鏡花だが、子供の頃、ミッションスクールでアメリカ人の女性にキリスト教を教えられた。そのためだろう、鏡花作品には意外なほどキリスト教、聖書の影響が見られるともいう。

 『夜叉(やしゃ)ケ池』は、シェンキーヴィッチの歴史小説クォ・ヴァディス』を下敷きにしているのではないかという大胆な推論にも驚く。

 他方で鏡花文学は『源氏物語』の影響も濃く、次々に人妻との密通の物語が生まれてゆく。ただ惨劇にせよ、密通にせよ、それがあくまでも耽美(たんび)的に描かれてゆくのはいうまでもない。

 著者のたおやかな文章によって新しい鏡花像が立ち上がってくる。出色の文芸評論。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『泉鏡花 −百合と宝珠の文学史』=持田叙子・著」、『毎日新聞』2012年11月04日(日)付。

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