覚え書:「今週の本棚・本と人:『水のかたち 上・下』 著者・宮本輝さん」、『毎日新聞』2012年11月18日(日)付。
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今週の本棚・本と人:『水のかたち 上・下』 著者・宮本輝さん
(集英社・各1680円)
◇善き人々がもたらす幸福−−宮本輝(みやもと・てる)さん
近年テーマにしてきた「歳月の尊さ」や「善き人々のつながり」をさらに突き詰めている。月刊の女性誌に2007年から5年間連載した長編小説。スタート直後に思いがけない再会があり、物語の形がかわったという。小説家になる前、勤めたことがある会社の経営者の妻から、三十数年ぶりに連絡があったのだ。
「お父さんの遺品を整理していたら、手記や、まだ5歳だった自分に持たせたリュック、手紙が出てきたというんです。長時間話を聞きに行きました」。終戦後の混乱期、33歳の日本人青年が、家族や同胞150人を連れて朝鮮半島の38度線を越えた体験を知った。人のつながりや、人知を超えた力が命を救っていた。実話のまま織り込み、作品のなかで重要な位置を占めた。
『水のかたち』の舞台は、東京の下町・門前仲町。主人公は50歳の女性、志乃子。偶然手に入れた骨董(こっとう)品をきっかけに、彼女の元には価値あるものが次々舞い込み始める。人との出会いが広がり、思いがけずもたらされた幸福が連なる。困難を乗り越え人生が深まる。
骨董品やジャズ、クラシックの「定番」が多く登場するのが印象的だ。10年に毎日新聞で連載した『三十光年の星たち』では、主人公が志ん生の落語を聞いていた。「古くて、いいものには、歳月に耐えうるだけの価値があるということです。志乃子の元にはいろんな形で、古いものが集まってくるようになります」。ここに「歳月」というテーマが浮かび上がる。
<石に一滴一滴と喰(く)い込む水の遅い静かな力を持たねばなりません>
作品を象徴するようなロダンの名言を引用した。作家デビューから35年。短編から長編まで幅広く読者を得てきた作家は、小説が書き進められないとき、この言葉を噛(か)みしめるという。「焦るな、と常に言い聞かせます。僕の場合は一字一字の積み重ね。その静かな力を持とうと思うのです」
一滴一滴の水が小川になり大河につながる。一瞬一瞬の時間が重なり歳月を形作る。『水のかたち』の物語には、著者のそんな思いが表れている。<文・棚部秀行/写真・長谷川直亮>
−−「今週の本棚・本と人:『水のかたち 上・下』 著者・宮本輝さん」、『毎日新聞』2012年11月18日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20121118ddm015070038000c.html