覚え書:「吉野作造:仙台出身の甘粕大尉が命狙う? うかがわせる歌、雑誌に掲載 /宮城」、『毎日新聞』2013年02月08日(金)付、地方版(宮城県)・電子版。




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吉野作造:仙台出身の甘粕大尉が命狙う? うかがわせる歌、雑誌に掲載 /宮城
毎日新聞 2013年02月08日 地方版

 1923(大正12)年9月、関東大震災後の混乱に乗じて無政府主義者大杉栄ら3人を殺害した陸軍憲兵大尉・甘粕正彦仙台市出身)が民本主義者、吉野作造の命を狙っていたことをうかがわせる歌が掲載された雑誌(コピー)が、大崎市古川の吉野作造記念館に所蔵されている。

 反軍部の姿勢を明確にしていた吉野は22年2月、「陸海軍大臣が内閣から独立して天皇に直接上奏する権限を有するのは(明治)憲法違反」と新聞紙面で軍部を批判。18年に始まったシベリア出兵以来、吉野の軍部批判はやまなかった。

 雑誌は、24年1月発行の陸軍憲兵隊の機関誌「軍事警察雑誌 第18巻第1号」。甘粕に近いとされる憲兵、野村昌靖の作で「甘糟(粕)大尉 琵琶(びわ)歌」が掲載されている。琵琶歌は、琵琶の伴奏に合わせて歌われる。

 琵琶歌は七五調で約200行。大杉らの殺害を容認し、甘粕をたたえる内容。甘粕は、軍部批判を繰り返していた吉野に反感を募らせていたとされ、歌には「(前略)大過(杉)夫妻のみにては 主義者の根絶 思いもよらず 博士悪森はじめとし 残徒どもの根を絶やし(後略)」との部分がある。「悪森」は甘粕らが使った吉野の蔑称とされる。

 震災時に警視庁警務部長だった正力松太郎は24年、軍部に吉野暗殺計画があったことを証言している。

 雑誌は同館館長だった田中昌亮さんが数年前に入手していた。【小原博人】
    −−「吉野作造:仙台出身の甘粕大尉が命狙う? うかがわせる歌、雑誌に掲載 /宮城」、『毎日新聞』2013年02月08日(金)付、地方版(宮城県)・電子版。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130208ddlk04040243000c.html




田村貞雄「大杉栄虐殺と吉野作造暗殺計画」



http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/oosugisakae1.htm






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