覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『百年の手紙−日本人が遺したことば』=梯久美子・著」、『毎日新聞』2013年02月17日(日)付。




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今週の本棚:中村桂子・評 『百年の手紙−日本人が遺したことば』=梯久美子・著
毎日新聞 2013年02月17日 東京朝刊

 ◇『百年の手紙−日本人が遺(のこ)したことば』

 (岩波新書・840円)

 ◇心を許す人へと宛てた思いが、時代を語る

 東日本大震災から二年がたとうとしているのに、暮らしやすい社会へ向けての道を歩んでいるとは到底思えない。その中で、これからの生き方を考えると、どう生きるのがよいかという前向きの問いとどう生きられるのだろうかという不安とが混じり合う。

 このような時は、「百年の来し方を振り返り、歴史の節目を生きた日本人の肉声に耳を傾けることは、それなりに有益」と考えた著者が、二十世紀の百年間に書かれた手紙百通ほどを紹介しているのが本書である。手紙は、家族や友人、恋人など身近な人に宛てた個人的なものだが、それゆえにその時代のありようを明確に、正直に見せてくれることがわかり面白い。

 一九〇一年十二月十日に書かれた田中正造明治天皇への直訴状から始まる。天皇に渡すことはできなかったが、内容は「鉱毒に苦しむ渡良瀬川下流域の農民の実情を訴え、銅山の操業停止を求めるもの」だった。その中から著者がとりあげた文は「田園荒廃シ数十万ノ人民ノ中(う)チ産ヲ失ヒルアリ」だ。これで、一時世論が盛り上がったが、まもなく熱は冷め、銅山の操業停止はなかった。まさに今の福島だ。驚くのは、大逆事件で死刑となった唯一の女性管野(かんの)すがが、獄中から幸徳秋水のための弁護士の世話を依頼する手紙である。一見ただの半紙を光にかざすと、無数の小さな穴があり文字が見える。二〇〇六年にしみ一つない状態で発見されたとのこと、歴史がひそんでいる。

 この二通を含む「1 時代の証言者たち」には、一九五四年ビキニ環礁で被曝(ひばく)した第五福竜丸の無線長久保山愛吉の「おとうちゃんも、だんだん元気がでてきました」「あめふりに かわへ おちないよう」という子どもたちへの手紙がある。帰宅することなく亡くなった久保山は、妻子に手紙を書き続けたという。

 「2 戦争と日本人」も多くを語る。「ハヅメテ、タマノナカヲ、クグリマシタ。タマハ一ツモアタリマセンデシタ(中略)オカサンノオイノリト、フカク、カンシャイタシテオリマス」と書いた農民兵士の母は「ヘイタイサイカネデスムモノナラ、ゼニッコナンボ出ステモヨ」と語っている。また妻が夫へ、「敵弾があたりませぬように」だけでは勝手すぎるので「一日も早く平和のきますよう」祈っていると書く。この手紙は届かぬまま夫は戦死した。戦争で多くの命を失なった二十世紀、手紙ほどその中での一人一人の思いを伝えてくれるものはないという思いを強くした。

 3は「愛する者へ」。これこそ手紙の真骨頂発揮の場である。恋人、妻や夫、子ども、友人へと送られたどの手紙も心に響く。冒険家植村直己は婚約者に「一生を棒にふってしまったとあきらめて下さい」と書く。そして孤独を打ち明け、あなたにだけはよくやったと言ってもらいたいと求めるのである。本音の本音だ。

 最後の4は「死者からのメッセージ」。夭折(ようせつ)した人の言葉が悲しい。童話作家新美南吉は巽聖歌(たつみせいか)に草稿を送る失礼を詫(わ)び「もう浄書をする体力がありません」と書く。二十九歳である。病いの他、遭難、戦争などでその後の人生を絶たれる人、自ら命を絶った人とさまざまだが、死のもつ意味は一人一人違いながらまた同じでもあると気づいた。

 手紙は、最も心を許している人へ宛てて思いを語るものであるだけに時代を語るのだ。とにかく本音で考えよう。本音で語り合おう。最初にあげた問いへのとりあえずの答が探せた。
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『百年の手紙−日本人が遺したことば』=梯久美子・著」、『毎日新聞』2013年02月17日(日)付。

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