覚え書:「今週の本棚:張競・評 『卒業式の歴史学』=有本真紀・著」、『毎日新聞』2013年03月24日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『卒業式の歴史学』=有本真紀・著
毎日新聞 2013年03月24日 東京朝刊


 (講談社選書メチエ・1680円)

 ◇涙と感動を誘う“形式”の起源を徹底解剖する

 アメリカにいたとき、保護者として公立中学校と私立高校の卒業式に出席したことがある。式次第は日本と多少似ているが、生徒の着衣から入場の仕方まで細部がことごとく違っていた。私立高校の生徒は全国から集まってきたから、いざ別れようとしたとき、さすがに涙を見せる子もいた。しかし、地域入学の公立中学校では泣く子は一人もいなかった。

 日本の卒業式にはなぜ涙が欠かせないのか。その答えは本書にあった。

 卒業式をもっとも早く取り入れたのが軍学校で、一八七六年、陸軍戸山学校で行われたのがその濫觴(らんしょう)(始まり)らしい。当初、名称はまだ定まっておらず、証書と褒賞の授与が同等に扱われていた。そのことから、卒業式は「賞与式」「表彰式」とも呼ばれていた。天皇臨御によって権威性が付与され、観兵式や奏楽を伴う儀式として定着した。

 軍学校以外で初めて卒業式を行ったのは東京大学である。やがて官立・公立学校や私立学校でも取り入れられるようになった。軍学校の観兵式に代わって、学業や体操など学習成果が披露され、関係者の祝辞や挨拶(あいさつ)、奏楽、証書や賞品の授与といった手順が出来上がった。卒業式での合唱は東京女子師範学校にさかのぼる。音楽授業の成果として披露された唱歌にその原型を見ることができる。

 意外なことに、明治十年代の小学校では卒業式がほとんど行われていなかった。生徒たちは学年ごとに修了し、試験を受けてその場で卒業証書を受けていたので、とくに儀式を伴わなかった。「卒業」という言葉も年度修了しか意味していない。明治二十年代になって、「随時」入学が廃止され、さらに四月から始まる学年度に統一された。学級編成によって多数の生徒が同時に全課程を修了するため、年に一度の卒業式が可能になった。やがて、式次第の様式化が進み、「卒業」という言葉はようやく現代とほぼ同じ内容を持つようになった。

 感情の所与性を明らかにしたのは大きな成果である。卒業式が情動的な身体表現を伴う理由として、巣立ちしようとする生徒たちの斉唱と挨拶が挙げられるが、唱歌は当初の成果披露から、来賓の歓迎や余興的な意味も持つようになった。そこから儀式の意味がさらに変容し、やがて別れを演出する役割へと変わった。在校生の送辞と卒業生の答辞も演劇の台本のように作成され、用語の工夫と朗読法が指導の対象となった。しかし、発話者と発声者の主体が卒業生であるため、「自分たちの感情」という錯覚が起り、涙が自然にあふれ出たと認識された。
 近代の感情史を発掘する上で、たんに瑣末(さまつ)な資料を羅列するのではない。感情の規範化がどう形成されたかがきちんと検証されている。しかも、組織や制度の政治力学だけに注目するのではない。人間の内なる作用にも目配りが行き届いている。

 印象に残るのは、形式に対する徹底した吟味である。とくに細心の注意が払われたのは、在校生と卒業生の間の、声の往復であり、全員の声が合わさるという構成である。一連の分析を通して、見えてきたのは形式と内容の逆転という事実である。つまり、メロディにしろ、声にしろ、あるいは卒業式を描く映像にしろ、さまざまな表象はいずれも形式に過ぎない。しかし、さきに感動があって、それを表現する形式が発見されたのではない。逆に、卒業式や卒業の歌といった装置=形式によって、涙と感動が生まれた。

 記憶の政治学において、内容よりも形式、理解よりも暗記が決定的な作用をしたことを改めて思い知らされた。
    −−「今週の本棚:張競・評 『卒業式の歴史学』=有本真紀・著」、『毎日新聞』2013年03月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130324ddm015070028000c.html








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