覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『ハピネス』=桐野夏生・著」、『毎日新聞』2013年03月24日(日)付。


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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『ハピネス』=桐野夏生・著
毎日新聞 2013年03月24日 東京朝刊


 (光文社・1575円)

 ◇素敵なママたちの孤独な世界にひそむ物語

 桐野夏生は多様な題材を多様なスタイルで書く。『東京島』や『ポリティコン』などで閉ざされたコミュニティを描いてきた作者が、本書『ハピネス』で舞台に選んだのは、東京の埋め立て地に建つ高級タワマン(超高層マンション)だ。東京と橋でつながれた「半島」に聳(そび)えるビルのマイホームは、宙に浮かぶ理想郷か、空中楼閣か?

 初出連載は女性誌『VERY』。同誌は高級コンサバ(保守的)路線で、主ターゲットは三十、四十代の主婦層。経済力のある配偶者をもち、身なりはごく洗練されスタイルもモデル並み、子供が幼いうちは家庭に入り、仕事をするとしたら自宅で趣味のお教室を開く、といったライフスタイルが望ましい−−そう、「望ましい」のであって、実際に何十万といる読者がそんな人たちばかりのはずはない。

 ともあれ、そのハイクラスなママたちの世界に特徴があるとすれば、自分と似た相手を好む同質集団であること。当然、排他性が生じる。「みんなちがって、みんないい」が好きなんてウソウソ。雑誌読者だってその世界からはじかれる痛みと心地よさを同時に楽しんでいるのだ。

 桐野夏生はもちろんその微妙な隙間(すきま)をちゃんと織りこみ済みで、本作ではこの隙間めがけて直球を投げこんでいる(ただしいつもよりちょっと手加減して)。素敵(すてき)なママたちの世界を題材にしながら、あえて「その世界と同化して見えるが実は決定的に部外者であることに仲間だけは気づいている」というポジションの子持ち女性を主人公にして、羨望(せんぼう)と嫉妬、プライドと自己嫌悪、孤独と暗い悦(よろこ)びの入り混じった気持ちを代弁させている。

 主人公の「花奈(かな)ママ」こと「有紗ありさ)」は生まれ育った新潟を出て、東京で広告代理店に非正規で勤めている時に出会った相手と「できちゃった結婚」をした。憧れのタワマンで幸せな新婚生活が始まるが、まもなく娘が生まれる頃には夫婦間に大きな溝ができ、その八か月後に夫はアメリカに単身赴任。やがて家賃と最低限の生活費を送ってくるだけで音信を絶ってしまう。離婚を切りだす夫のメールが届いてから一年近くが経(た)とうとしていた。

 タワマンを通じて、有紗は「いぶママ」「芽玖(めぐ)ママ」「真恋(まこ)ママ」「美雨(みう)ママ」というお洒落(しゃれ)なママ友の仲間入りをしているが、夫との不仲や生まれ育ち、そして過去のある事情については絶対に口にできず、気後れしながらグループにしがみついている。夫の職業、自らの出身校、子供の幼稚園、服からネイルに至るまでの微妙な差異がぐりぐりとえぐり出されていく。

 おまけにタワマンでの暮らしは見えない隣人たちにチェックされている。場所柄、子連れで出かけるスーパーや公園は限られてくるので、かえって付き合いが密になり情報は筒抜け。「むら」の伝達構造や表面的な互助機能をもちながら、人と人のつながりは儚(はかな)く、本当の生活共同体ではないという厄介さがある。有紗は隣人やママ友たちの監視や値踏みの目に怯(おび)え、嘘(うそ)を上塗りしてしまう。じきにグループ内差別が浮き彫りになり、有紗とともに密(ひそ)かに仲間はずれにされていたママから驚愕(きょうがく)の事実が発覚。有紗も自分の秘密を打ち明けようとするが……。

 有紗の視点だけから書かれたシンプルな語りに徹している。冒頭は彼女が眠りから醒(さ)める場面。読んでいる途中でふと、もしかしてこれはぜんぶ、中空に浮かぶ部屋で女がひとり夢想していることじゃないかと夢想したら、全身が粟立(あわだ)った。
    −−「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『ハピネス』=桐野夏生・著」、『毎日新聞』2013年03月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130324ddm015070025000c.html








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