覚え書:「刊行:立教大学長の執務日記 戦時下の受難、生々しく」、『毎日新聞』2013年06月24日(月)付、夕刊。




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刊行:立教大学長の執務日記 戦時下の受難、生々しく
毎日新聞 2013年06月24日 東京夕刊

 日中戦争から太平洋戦争にかけて立教大学長が記した執務日記が、『遠山郁三日誌 1940−1943年 戦時下ミッション・スクールの肖像』(山川出版社)=として刊行された。大学史や教育行政史、キリスト教史にとっても第一級の史料だ。

 刊行されたのは、第4代学長の遠山が40年4月1日−43年1月30日までに記した日誌。A5判のノートにペンで書かれていた。公開は意識していなかったとみられる。

 同大学は米国聖公会が設立し維持していた。だが日米関係が悪化すると、米国人宣教師は次々と役職を離れた。日誌では開戦当日の41年12月8日、遠山が米国人として一人残っていたポール・ラッシュ教授に謹慎を命じ、翌日にラッシュが警察に連行されたことが記されている。

 また大学を経営する財団法人立教学院は、教育目的を「基督(キリスト)教主義」としていた。だが文部省から問題視され、42年9月、「基督教主義」の文言を削り「皇道ノ道」とした。チャペルも閉鎖した。さらに、教員の論文や講義内容などが監視された。

 遠山は出来事を簡潔に淡々と記している。だがその内容は「教会閉鎖。牧師を存せぬこと」などと、大学の自治がむしばまれてゆく過程を克明に示す。

 一方で、こうした国家主義的な外部の圧力に呼応する動きが学内にあったことも示唆している。「受難史観」だけでまとめきれない、戦時下における大学の複雑な実情が分かる。

 日誌は同大学関係者らによって研究されてきたが、学外には公開していなかった。また独特の崩し字で判読しにくく、活用は難しかった。そこで奈須恵子・同大学教授や豊田雅幸・同大学兼任講師ら編者5人は、日誌原文の判読や校訂、登場人物の特定など4年かけて刊行を実現させた。

 今回の刊行によって、広範囲な活用が可能となる。戦時下における大学の戦争体験について、研究の深化に寄与しそうだ。【栗原俊雄】
    −−「刊行:立教大学長の執務日記 戦時下の受難、生々しく」、『毎日新聞』2013年06月24日(月)付、夕刊。

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