覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 人材育つ環境、対極的に=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年09月04日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障
人材育つ環境、対極的に
「世界一企業活動しやすい国」に危うさ
湯浅誠 社会活動家

 派遣労働に関する厚生労働省の研究会の報告書が出た。規制の対象をこれまでの「業務」単位から「人」単位に切り替えて、人を入れ替えれば半永久的に、ある業務を派遣に任せられる仕組みにするという。労働政策審議会の審議を経て、来年の通常国会で法改正を目指す予定だ。
 安倍晋三首相は、日本を「世界一、企業が活動しやすい国にする」と宣言しているので、その方向で議論は固められるだろう。国会の「ねじれ」も解消し、どんな法案でも、基本的には与党の望むものが成立する。
 農林業や商店主などの自営業は衰退し、社会的起業といった新しい事業形態も芽吹いたばかり。多くの人は、雇われない限り、暮らしが成り立たない。個人やその家族の生活は「会社あってのもの」だ。そのため、個人やその家族の暮らしを守ろうとすれば「とにかく雇用を増やすことが先決」となり、企業の嫌がる規制は、たとえ労働者を保護する規制であっても撤廃すべきだ、という理屈が、大きな説得力と浸透力を持つ。結果として、働く人たちは自分の雇用を守るために、自分の給料が減るのを受け入れる選択−−家族のために家を不在にして、長時間労働や単身赴任をする選択をせざるを得なくなる。
 不平や不満はあるだろう。だが、そこで何とかやりくりするのが、働く者としての、生活者としての技量の見せどころだとも言われる。「逆境を乗り越える力が必要だ」と。
 「ちょっと待てよ」と思う。
 先日、ある自動車メーカーでF1エンジンから軽自動車の設計に転じた人が「決められた規格で勝負するのは、F1も軽も同じだ」と語っていた。自転車を乗せられる軽自動車を開発するため、エンジンルームを9センチ縮めるイノベーション(技術革新)を実現したそうだ。彼は「軽自動車の規格を撤廃すべきだ」とは言っていなかった。
 ある電機メーカーの元人事担当者が「リストラは麻薬だった」と述べていた報道も見た。一時的には人件費が減って業績が上がるが、人材が流出し、残った人も勤労意欲をそがれて企業の成長力が減る。そして、企業はまたまたリストラに頼る。「常習性が出てくるんですよ」と。
 大切なのは、人の力を高め、職場の力を高め、一定の制約の中でもイノベーションを起こしていくことのはずだ。「ルールのせいで勝てない」と安易な打開策ばかり進めても、イノベーションは起こらない。人を擦り切れさせていってしまったら、逆効果でさえある。
 「世界一企業活動のしやすい国」が、「世界一人材が育たず、人々が疲弊しきり、イノベーションの起こらない国」とならないよう、長期的・対極的な観点からの検討を望みたい。

ことば 派遣労働の見直し
 厚労省研究会の報告は、現行制度では専門業務以外の仕事を派遣に任せる場合は3年が上限だったのを、3年で人を交代させれば、派遣社員を使い続けられるようにする内容。人件費の高い正社員を派遣に置き換える動きが出る可能性がある。
    −−「くらしの明日 私の社会保障論 人材育つ環境、対極的に=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年09月04日(水)付。

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