覚え書:「剣術修行の旅日記―佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む [著]永井義男 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年10月20日(日)付。

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剣術修行の旅日記―佐賀藩葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む [著]永井義男
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年10月20日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■青春きらめく、藩士の「留学」

 嘉永6年(1853年)、佐賀藩士・牟田文之助(満22歳)は武者修行の旅に出た。彼が記した日記(『諸国廻歴日録』)をもとに、北は宮城、秋田、新潟まで及ぶ、2年間の旅の軌跡を明らかにしたノンフィクション。
 「武者修行」と聞くと、他流派の道場に殴りこみをかけ、相手をこてんぱんにして看板を奪い去り、悠々と引きあげる途中の辻で反撃を食らって斬り殺される、というイメージがあるが、実際は全然ちがうことがわかった。
 藩公認で武者修行するひとは、各藩の城下にある「修行人宿」に無料で宿泊できた。文之助青年も修行人宿を利用しつつ、道場に礼儀正しく手合わせを申し入れ、各地の剣術家と交流を深めた。気の合う相手と酒を酌み交わしたり、他藩の修行者と仲良く旅をしたりと、楽しそうだ。
 つまり武者修行は、現代で言うところの「留学」みたいなものだったのだろう。見聞を広げ、さまざまなひとと出会って人間的に成長する機会として、諸藩は公費で若者に旅をさせた。
 文之助青年は、手合わせした道場の印象を、「格別の者はいない」と率直に日記に書いたり、歓待を受け二日酔いに苦しんだり、律義に礼状を書いたりと、憎めない人柄だ。そのためか、次なる目的地への出立(しゅったつ)の際には、30人ぐらいが見送りにきたほどだ。「見送り」のレベルを超えている……。彼らと別れの盃(さかずき)を交わしたせいで、またも酔っ払う文之助青年。
 武者修行の実態がわかると同時に、青春のきらめきに満ちた、貴重な旅の記録だ。生まれた場所がちがっても、ひとはだれかと理解しあい親しくなれる。旅人を受け入れるおおらかさ。別れたらもう二度と会えないだろう互いの立場を知りつつ、心底からの親愛を表す人々。文之助青年が残した楽しく切ない旅日記を、著者の永井義男氏は、見事に現代によみがえらせた。
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 朝日選書・1680円/ながい・よしお 49年生まれ。作家。97年『算学奇人伝』で開高健賞。
    −−「剣術修行の旅日記―佐賀藩葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む [著]永井義男 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年10月20日(日)付。

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