覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『ミシンと日本の近代−消費者の創出』=アンドルー・ゴードン著」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。
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今週の本棚:加藤陽子・評 『ミシンと日本の近代−消費者の創出』=アンドルー・ゴードン著
毎日新聞 2013年10月27日 東京朝刊
(みすず書房・3570円)
◇戦後成長を支えた女性たちの内なる奮闘史
この本を書いたゴードン教授はハーバード大学で日本近現代史を教える歴史家で、1980年代に日本型雇用システムとして世界に注目された労使関係誕生の謎を、幕末まで遡(さかのぼ)って明らかにした名著『日本労使関係史 1853−2010』(二村一夫訳、岩波書店)で知られる。
対象を長くとる著者の姿勢は、アメリカのもたらしたミシンと日本女性の幸福な出会いとその展開を描いた本作でも健在だ。1850年代にアメリカ総領事ハリスが徳川将軍夫人にミシンを土産とした逸話から、1950年代に文化服装学院やドレスメーカー女学院が爆発的な人気を誇った戦後までほぼ百年をカバーする。
ならば著者が分析のスパンを長くとる叙述にこだわる理由はどこにあるのだろうか。著者には、「日本は特殊だから」として日本の歴史を説明した気でいる者への批判があるように思われる。じっくりと比べれば、日本史は、世界史にみる普遍型で説明可能な部分も多いのではないか。また、日本固有の特殊性があったとしても、それが何なのかは、信頼できる統計や史料を長期的に分析して初めてわかることではないか。
容易な日本特殊論を排する著者のスタンスは、昨今のアメリカの良質な日本研究に見られる傾向と一致している。例えば、「総動員帝国」との概念で満州事変期の日本を分析したルイーズ・ヤングは、1931年の日本と1991年の湾岸戦争時のアメリカが似ているとし、大衆文化のテクノロジーをいかんなく動員する、帝国主義のメカニズムという点で日本とアメリカで違いはないと論じた。また、ピュリツァー賞を受賞したジョン・ダワーは、イラク攻撃に至るブッシュ政権の意思決定過程を、真珠湾攻撃に至る御前会議における意思決定過程と比較した時、驚くほど両者が似ているのだという。
シンガーや蛇の目などの企業史料、ミシンの業界紙、NHKや労働省婦人少年局による時間利用調査などを丹念に発掘し、縦横に用いた著者は、女性がミシンとともに歩んだ歴史を、近代の画期ごとに見事に描いた。
戦前期にあって、けっして安い買い物ではなかったミシンは、自活可能な女性、計画的消費といった前向きのスローガンをまとって家庭に浸透していった。子供服や学生服を家庭内で調える責務を負っていた主婦層は、総力戦下に進行した女性労働の社会化の波もあり、洋装化にはっきりと舵(かじ)を切った。1940年段階で世帯の1割だったミシン保有率は、1967年時点では世帯の8割に達したのである。
日本経済史を扱う研究の多くは、生産と輸出という側面から対象に迫ってきた。だがこの本は、家庭における内職と消費という側面から対象を切り取った。分析視角が斬新であれば、導き出される結論も非凡なものとなる。著者は、戦後の日本に高度経済成長の奇跡をもたらしたのは輸出ではなく、堅実で計画的な消費者が支えた旺盛な国内需要なのではないかと論じている。
最後に、ミシンを軸としてみた時、日本の何が特異な点であったのかについての著者の見解を掲げておこう。ミシンの販売戦略などの面で、日本企業の独自性と喧伝(けんでん)されたものの多くはアメリカ型の翻案であり、実のところ差異はなかったという。むしろ欧米と比べて特異だったのは、1950年代の日本において、専業主婦予備軍の女性たちの実に多くの部分が商業的裁縫教室に通っていたという事実の方だった。日本女性の内なる奮闘に注がれた著者のまなざしが温かい。(大島かおり訳)
−−「今週の本棚:加藤陽子・評 『ミシンと日本の近代−消費者の創出』=アンドルー・ゴードン著」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20131027ddm015070023000c.html