書評:内山勝利『対話という思想 プラトンの方法序説』岩波書店、2004年。
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こんなふうに、自分の分かっていることが言い表せないとは、ほんとうにいらいらします。男気について、それが何であるかということを、わたしはたしかに分かってはいるように、自分には思えるのですが、ところが先ほどは、どうしたわけか逃げられてしまい、それで、言葉でそれを抱えて、それが何であるかを言うことができなかったのです。(『ラケス』194A-B)
誰しもが持ち合わせている、このいまだ言葉にならぬ実感をどこまでも見つめつづけなければならない。そこから目をそらさないかぎり、既成のまことしやかな知に満足することはありえないだろう。知は外から情報として告げ知らされはしない。むしろ内部に向けて、無限の否定を反復することによって、しだいに近接していくべきものだ。
−−内山勝利『対話という思想 プラトンの方法序説』岩波書店、2004年、8−9頁。
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内山勝利『対話という思想 プラトンの方法序説』岩波書店、読了。既成の権威と理論を徹底的に疑いつつも安易な相対主義や不可知論に陥らなかったのがプラトンの対話である。だとすれば、イデア論や想起説も固定的なイデオロギーと理解するのは早計かも知れない。
本書は初期対話編から晩年までのプラトンの対話的思考の系譜を丁寧に辿り、その誤読を解く。生きた言葉による対話の運動は、単なる方法にも形式にも還元されざる「生の選択の決断」である。本書「プラトンの方法序説」(副題)は優れたプラトン入門である。
「対話とは、自己自身の見解を明確化する場である。話し合えば分かるという前提のもとで、合意を目指すものでは必ずしもない」。
Dialog 第15回研究会(2005/1/22)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0265890.html