覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『富士山の文学』=久保田淳・著」、『毎日新聞』2013年12月22日(日)付。


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今週の本棚:小島ゆかり・評 『富士山の文学』=久保田淳・著
毎日新聞 2013年12月22日 東京朝刊

 (角川ソフィア文庫・860円)

 ◇時代を超え、名山ゆかりの文学を味わう

 二〇〇四年刊行の『富士山の文学』(文春新書)を改訂・文庫化した一冊。古代から現代まで、伝説・小説・紀行・詩歌集など五十作以上の文学作品の鑑賞をとおして、富士山と日本人の心の関わりを考える。

 はじまりは『常陸国風土記』。筑波郡の古老の伝承として、富士山が一年中雪を戴(いただ)く寒い山であることの理由が記されている。

 昔、神祖(みおや)の尊(みこと)(神々の祖神)が神々の所を巡行されて、駿河の国の「福慈(ふじ)の岳」に来られた時に日が暮れたので宿を請われたが、福慈の神は、「今日は新嘗(にいなめ)(新穀を神に供え、人も食べる祭)をして家中物忌(ものいみ)をしているので、お泊めできません」と申しあげた。このような応待をされた神祖の尊は恨み泣き、「私はお前の親であるぞ。どうして泊めようとしないのだ。お前が住んでいる山は、これからずっと冬も夏も雪や霜が降って、寒さが厳しく、人は登らず、食物も献じないであろう」と呪いの言葉を述べられた。

 それに対して筑波の神は、尊を歓待したので、筑波山には人々が登って、歌舞や飲食を楽しむことが絶えないのだという。いくら故郷びいきと言っても、驚きの伝承である。昨今の富士登山ブームを知ったら、神祖の尊も筑波の古老も仰天するであろう。

 続いて『万葉集』『伊勢物語』などを経て、西行へ。鳥羽院北面の武士であった西行の、あまりにも若い出家(二十三歳)の謎をめぐり『源平盛衰記』は、身分違いの高貴な女性に恋をした悲恋遁世(とんせい)説話を記す。その中の<思ひきや富士の高嶺(たかね)に一夜寝て雲の上なる月を見んとは>の歌について、「到底叶(かな)えられそうもない高望みが一度は叶ったことのたとえとして、誰一人登ろうとしない富士の高嶺に一夜寝て雲の上の月を見ると言っている点、西行らしいと言えば言えるかもしれない」と著者は語る。西行研究では敬遠されがちな伝説をも視野に入れつつ、晩年の奥州下向の旅で詠まれたと思われる<風になびく富士のけぶりの空に消えてゆくへも知らぬわが思ひかな>(『新古今和歌集』)の歌に至る「富士見西行」の姿を、彫り深く読み解いてゆく。

 さらにまた、中世の『海道記』や『東関紀行』などにもふれ、知名度の高い作品でありながら作者を特定できないものが幾つもある文学史のおもしろさに言及する。

 そして江戸の芭蕉、蕪村や、『仮名手本忠臣蔵』などを辿(たど)り、正岡子規にはじまる近代へ。歌人詩人も多くとりあげられ、むろん太宰治の『富嶽百景』の名文「富士には、月見草がよく似合ふ」も登場するが、ここでは夏目漱石の『虞美人草(ぐびじんそう)』についての発言にふれておく。『虞美人草』は、漱石が長篇新聞小説の第一歩を踏み出した作品である。

 「その近代化の具体的な現れが汽車の旅であり、博覧会である。汽車の旅における富士山の描写は、新聞小説として当時まだ富士山の実像に接したことのない多くの読者の存在をも意識しての、一種のサービスの意味も籠められていたかもしれない。が、それにとどまらず、富士山は漱石自身にとって、近代化に狂奔する日本の社会と対比される存在と映っていたのであろう」

 とどめようのない時代の流れに乗りつつ、かつ孤独に筆を進める作家の姿が見える。文学史を俯瞰(ふかん)する大きな視野と、個々の作品の本質を見抜く洞察力、そして富士山への愛情に支えられた、鑑賞の文学と言うべき一冊。
    −−「今週の本棚:小島ゆかり・評 『富士山の文学』=久保田淳・著」、『毎日新聞』2013年12月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20131222ddm015070016000c.html





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