覚え書:「そして最後にヒトが残った [著]クライブ・フィンレイソン [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2013年12月22日(日)付。

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そして最後にヒトが残った [著]クライブ・フィンレイソン
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年12月22日   [ジャンル]科学・生物 

■もうひとつの人類、なぜ絶滅したのか

 ネアンデルタール人と聞くだけで心が動かされるのはなぜだろう。たぶん気づかないうちに想像してしまうのだ。我々の他に高い知能をもつ人類が生きていた、その時代の、その風景のことを。
 本書は千万年前に始まる人類の歴史を包括的にたどったもので、特にネアンデルタール人の絶滅と現生人類の拡散に焦点が絞られている。これまではネアンデルタール人が絶滅したのは現生人類の干渉や侵略を受けたためだと考えられがちだったが、しかし著者によると、それは我々が知性や情緒において彼らに勝っていたという固定観念の裏返しにすぎず、さほど根拠のある話ではないらしい。そのかわり著者が用いたのが気候変動と環境変化というより大きなダイナミズムだ。
 森林に暮らしていたネアンデルタール人は筋骨を発達させ、大型動物を狩るのに適した体型になっていった。ところが当時の地球は寒冷乾燥化が進み、平原が広がり始め、彼らの居住域である森林が狭くなっていった。しかしその変化が逆に現生人類にはプラスに作用する。我々の体はしなやかで持久力に富んでいたため、平原での狩猟にも対応できたという。
 著者の主張は明快だ。つまりある生物種が生き残れるかどうかは適正な時に適正な場所にいたかどうかにかかっている。その意味でネアンデルタール人は誕生の時点で絶滅を宣告されていたようなもので不運だった。しかし考えてみると現生人類が身の程もわきまえず現在の地球で支配者然としていられるのも、単に運がよかったからともいえる。状況によっては今頃、筋骨が逞(たくま)しく脳容量の大きな人たちが、もう少し節度ある文明を築いていたかもしれないのだ。
 気になるのは両者の間に接点があったのかどうかだ。現生人類が登場した時点ですでにネアンデルタール人は後退を余儀なくされていたのだから、大きな接触はなかったというのが著者の見方だ。だが巻末の解説によると、両者の間には遺伝的変異が共有されていることが最新のゲノム研究から明らかになっており、交雑していた可能性が高いらしい。
 交雑! つまり我々の体には、ほんの少しネアンデルタール人の血が流れているのだ。思い浮かぶではないか。広い平原のどこかで我々は自分たちとは異なる身体をした人々を遠くで見かけていたのだ。その時、お互いに何を思ったのだろう。危険を感じて森の中に隠れたのか。遠巻きに見つめただけか。それとも何か友好的なやり取りがあったのだろうか。
 地球には我々以外に複数の人類が暮らす多様な世界が広がっていた。そこに想像力の翼がはばたくだけでも一読の価値はある。
     ◇
 上原直子訳、白揚社・2730円/Clive Finlayson 55年生まれ。ジブラルタル博物館館長。長年にわたってジブラルタルにあるゴーラム洞窟の調査を続けているネアンデルタール人研究の第一人者。
    −−「そして最後にヒトが残った [著]クライブ・フィンレイソン [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2013年12月22日(日)付。

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