覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『日本語に生まれて』=中村和恵・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『日本語に生まれて』=中村和恵・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (岩波書店・1995円)

 ◇揺れる日本語と世界の出会い

 『日本語に生まれて』−−このインパクトのあるタイトルを見て、おやと疑問に思う人は多いだろう。われわれは日本人に生まれたのであって、日本語に生まれたわけではないと。そう思った人は、ぜひ本書を手に取ってほしい。とりわけ、この書評欄を楽しんで読んでいるような、本の好きな人、自分の知らないものの見方に出会いたくて本を読んでいる人、そして本屋さんに行くことが好きな人に読んでもらいたい。

 副題に「世界の本屋さんで考えたこと」とあるように、本書は著者の中村和恵が世界各地に出かけていって、その土地でまず「すみません、本屋さんはどこですか」とたずね、本屋さんに出会い、本に出会った、その報告記である。それは「目で文字を追うだけでなく、その土地にいって、土地を読む」というこころみであり、著者の言葉を借りれば「脚で読む」という実践の記録だ。旅先は、あまり日本人観光客が行かない、トンガやドミニカ島といった小さな島に始まり、インドやオーストラリア、そして暴動のさなかのロンドンとさまざまだ。小さな島にも、人々がいるかぎり、どんなに小さくても本屋さんがあり、そして本がある。

 だからといって、いわゆる愛書家と勘違いしてはいけない。「本だけじゃわからないんだ、本は」と著者は言う。本の話なのに矛盾したことを書いているようだが、必ずしもそうではない。「揺れながら、間違いながら、ぶつかりながら、考える」というのが著者の態度であり、そこにはさまざまな声が響いている。英語だけではない、さまざまな言葉に出会い、さまざまな人に出会い、そこからひとつではないさまざまな声をつむぎだす、それが本書の最大の魅力だ。

 そうして世界のあちこちに出かけていって、主に旧植民地で自国語と英語のせめぎあいや混成のありようを体験したとき、著者は日本語に生まれた我が身を想(おも)う。日本語とは「日本国内の需要供給のみに頼って経済活動が成立しうる、絶妙な話者数を抱えた言語」であり、翻訳の恩恵によって、日本語だけで相当の知識を得ることができるという点で、日本は「非西洋言語圏では数すくない幸運な言語事情の国」だと著者は書く。しかし、「日本語でわたしたちは残念ながら、日本以外の国の人々に語りかけることがほとんどできない」。そのかたわらで、著者は日本語を手放すことができない。英語圏読者にはもどかしく映る漱石の『坊っちゃん』を再読して、日本語を縦書きで読むおもしろさを再発見するくだりも楽しい。そして、「日本語でぎりぎり手の届く、ある不明瞭な領域に、英語では手が届かない気がする」ことから、著者は日本語で書くことの意味を考えようとする。

 だから本書は、論理的整合性よりもむしろ揺れや屈曲を特徴にした日本語で書きながら、異なる文化との交わりを考え、実践しようとしたこころみであり、その意味では、さまざまな言葉に橋を架けようとする翻訳なのだ。本書の言葉は、ときにはやわらかく曲がり、ときには直截(ちょくせつ)になる。その鍛えられた日本語を読むのは心地よい。

 世界のあちこちから見れば、日本は決して「経済大国」のセルフイメージのような大国ではなく、小さな島国である。「日本人がおもうよりも日本人は日本人以外にとって、『異なる』人々なのだ」。しかしそれは、偏狭なナショナリズムに陥ることがなければ、まったくかまわない。著者が言うとおり、「この世は端っこのほうが、断然おもしろい」のだから。
    −−「今週の本棚:若島正・評 『日本語に生まれて』=中村和恵・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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