覚え書:「今週の本棚:中島岳志・評 『岡倉天心「茶の本」を読む』=若松英輔・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。


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今週の本棚:中島岳志・評 『岡倉天心茶の本」を読む』=若松英輔・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (岩波現代文庫・945円)

 ◇「美の宗教」から捉えるアジアという普遍性

 日本とアジアの関係が日増しに重要となる今日、岡倉天心はアクチュアルな思想家である。

 天心はインドで執筆した『東洋の理想』の冒頭で「アジアは一つ」と言った。中国とインドはヒマラヤ山脈で隔てられ、文化的な差異が明確に存在する。仏教やヒンドゥー教イスラーム儒教など、宗教も多様だ。しかし、それでも「アジアは一つ」だと天心は言う。なぜか。

 天心の見るところ、アジアは「不二一元」という同じ観念を共有している。山の頂は一つだが、登り道は複数存在する。世界はバラバラでありながら、いずれ一つの真理に到達する。アジア的思惟(しい)は真理の唯一性と、真理に至る道の複数性を重視してきた。無限の真理そのものを、有限の人間が把握しきることはできない。しかし、ただ一つの超越は、有限なる世界に具体的な姿を伴って自己展開する。すべては「一なるもの」の表現である。

 この「不二一元」論を、天心はインドの宗教思想家ヴィヴェーカーナンダから吸収した。そして、その認識論をアジア的論理として定位し、近代を昇華しようとした。天心にとってアジアは地理的な概念ではなく、宗教的概念である。彼はその具体的展開を「茶道」の中に見た。若松は、不二一元論こそ『茶の本』に太く貫かれた思想であると強調する。

 天心にとって、「茶」は単なる褐色の飲料ではない。それは「何ものかに遣わされた平和の使者である」。人は「茶」を媒介とすることで超越的存在と交わり、「いま」を変容させる。茶は天と人を結びつける。そして、一なる愛がよみがえる。

 茶道はそのための「道」である。「不可視のもの」が通る場所である。人は日々苦しみ、悲しみを背負う。しかし、静かに茶を飲むことで、もう一つの世界とつながる。嘆きの眼(め)には不可視の光が注ぎ、全身が宇宙に包まれる。傍らには何気ない茶器や一輪の花が添えられる。その美は我々に働きかけ、神の遍在を伝える。私たちは自己がその一部をなしていることに静謐(せいひつ)の中で気づく。

 天心は繰り返し「愛」の存在を喚起した。「愛」は差異と同一性の絶対矛盾の中に現れる奇跡である。天心にとって「愛」とは、「万物が、ふたたびその同一性を取りもどそうとする働き」である。アジアは「愛」であると天心が言った時、アジアは限定された空間を超えて普遍となる。アジアが世界を包む。そこに洋の東西は存在しない。

 『茶の本』は、単なる「茶の本」ではない。それは「茶」という「美の宗教」のあり方を問うことで、近代世界に変容を促す思想書である。天心は多くの思想家と交響し、アジアという旋律を奏でる。若松は内村鑑三柳宗悦九鬼周造井筒俊彦などとの時空を超えたシンフォニーに耳を傾け、そこに壮大な思想的オーケストラを構成する。「読む」ことは、時に「書く」こと以上に創造的な行為である。若松は、真の意味で『茶の本』を読もうとする。そこには生命の根本を揺るがす律動が存在する。

 ボートを漕(こ)ぐ者は、前に進むために後ろを向く。過去を見なければ、前に進むことなどできない。私たちは未来へ向けて、死者と対話しなければならない。天心を「読む」ということは、その先の近代を構想することに他ならない。

 アジアと共に生きるしかない日本は、近隣諸国との不和ばかりを加速させている。私たちは、アジアを定位し直すことから、あるべき未来を見つめる必要があるだろう。そのとき本書はアジアの潜在的可能性を喚起する。名著だ。
    −−「今週の本棚:中島岳志・評 『岡倉天心茶の本」を読む』=若松英輔・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm015070012000c.html





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岡倉天心『茶の本』を読む (岩波現代文庫)
若松 英輔
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