覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『過労死は何を告発しているか』=森岡孝二・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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今週の本棚:中村達也・評 『過労死は何を告発しているか』=森岡孝二・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (岩波現代文庫・1302円)

 ◇隠された三六協定、サービス残業の実態に迫る

 「二四時間戦えますか」。ご記憶の方も多いであろう。あるドリンク剤のテレビ・コマーシャルである。これが流れたのが一九八八年。実はこの年は、過労死元年として関心を集めた年でもあった。大阪過労死問題連絡会が「過労死シンポジウム」を開催し、「過労死一一〇番」と銘打って過労死の補償と予防に関する電話相談を受けつけたのである。それからすでに四半世紀が過ぎたが、過労死は依然として後を絶たない。それどころか、この数年、過労死認定の申請件数が増え続けているという。本書は、長年、過労死問題に取り組んできた著者による、渾身(こんしん)の一冊である。

 一九八七年、労働基準法が改定された。それまで一日八時間・週四八時間を限度とする労働から、「一週間について四〇時間、一日について八時間を超えて労働させてはいけない」こととなった(第三二条)。もしも労働時間がこの範囲内に納まり、さらに週休二日、年次有給休暇二〇日、国民の祝日一五日がすべて取得されるとすれば、年間労働日数は二二六日、年間労働時間は一八〇八時間以内となるはずである。おそらくは、過労死や過労自殺を生みだすようなことにはならなかったかもしれない。

 ところが、同じ労働基準法の第三六条では、労使が書面による協定を結んで労働基準監督署に届け出れば、時間外でも休日でも労働させることができるとされている。いわゆる三六(さぶろく)協定(時間外労働協定)である。この協定のあるがゆえに、労働時間は第三二条の規定にもかかわらず、事実上、上限なしに引き延ばされてきた。「二四時間戦えますか」が流されていたのも、むべなるかなというわけである。

 本書には、いくつかの企業の三六協定が紹介されている。それによると、時間外労働として一日一五時間の延長が可能な企業、一ケ月一六〇時間の延長が可能な企業、三ケ月で四〇〇時間の延長が可能な企業、一年で一六〇〇時間の延長が可能な企業等の実例が示されている。いずれも、日本を代表する名だたる企業であるのに驚かされる。実は、こうした実態が明らかになったのは、二〇〇三年、大阪地方裁判所に対してなされた、三六協定の情報公開訴訟が認められて以降のことである。本書の見所の一つである。

 長時間労働に関わるもうひとつの問題として、賃金不払残業(サービス残業)がある。時間外労働をしておりながら残業代が支払われない労働である。違法であるからして、もちろんその実態を示す公式の統計はない。著者は、サービス残業の実態を探るべく、さまざまな試みを重ねてきた。そのうちの興味深い一例を紹介しよう。著者の試算によれば、二〇一二年の日本におけるサービス残業時間は、全体で一〇八億七〇〇四万時間にも達している。もしもこのサービス残業を廃止し、その分を新規の雇用でまかなうとすれば、およそ五三五万人分の雇用を生み出すことができるというのである。過労死対策と失業対策にとって意味のある提案である。

 アベノミクスの第三の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」は、その一環として解雇規制の緩和など、雇用の流動化をめぐって論議が進められているようだ。働き方の多様化という名の下で、長時間労働も一つのありうべき形として議論されているらしい。労働(力)が商品として市場に組み込まれているのが資本主義経済というものではあるが、それは一般の商品とは異なり、生身の人間から切り離すことができない。だからして、それなりの規制が必要なのはむしろ当然。著者の熱い想(おも)いが伝わってくる一冊である。
    −−「今週の本棚:中村達也・評 『過労死は何を告発しているか』=森岡孝二・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140126ddm015070044000c.html





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