覚え書:「引用句時点 トレンド編 [指導者とは]国民を引きつける威信と個性あるか」、『毎日新聞』2014年01月25日(土)付。
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引用句辞典 トレンド編
国民を引き付ける
威信と個性あるか
鹿島茂
[指導者とは]
ギリシャ神話のアポロは、カサンドラに先見能力を授けた。だが同時に、彼女の予言を聞く人が、だれ一人それを信じないよう、呪いを吹きかけた。ドゴールも、先見力だけでは不十分なことを知っていた。指導者というのは『何を為すべきか』を正しく見きわめるだけではだめで、人々を説いて、それを為さしめなければならない。(中略)ドゴールは『剣の力』の中に、『指導者は部下を心服させ、自己の権威を確立しなければならない』と書いている。
(リチャード・ニクソン『指導者とは』徳岡孝夫訳、文春学藝ライブラリー)
われわれの青春時代、リチャード・ニクソンは最悪の政治家の象徴であった。若き日にマッカーシー議員と組んで「赤狩り」を主導し、一九六〇年の大統領選挙には旧勢力の代表としてケネディと闘って破れ、その後のカリフォルニア知事選挙にも落選して政界引退同然になったので、あのニクソンも終わりかと安心していたら、なんと六八年の大統領選挙で見事、復活を遂げて第三十七代大統領の座に収まってしまったのだ。あのとき、「なんでニクソンなんだ」と思わず天を仰いだものである。
だが、どうだろう!
大統領に就任するや、デタント、ベトナム撤退、中国との国交回復、金本位制からの離脱(ドルショック)と矢継ぎ早に目覚ましい業績をあげて世界を驚かせ、ジャーナリズムさえ、「もしかすると名大統領かも」と評価を変えようとした矢先に、なんとウォーター・ゲート事件で失脚。ところがどっこい、ニクソンはまだ「生きて」いて、回想録に専念するかたわら、指導者についてこんな名著まで残していたのである。どのページにも憎々しげな外観からは想像もつかない知性と教養が息づいていて、じつに読ませる。今日では、ニクソンに対するプロの評価はケネディよりも上がるかもしれない。
そのニクソンが終生、尊敬おくあたわなかったのがシャルル・ドゴール。「ドゴールは、われわれの意識の上に、なぜこうも強い印象を残すのか。フランスより強力な国の指導者は何人もいるのに、なぜドゴールが二十世紀に屹立する存在であるのか」
ニクソンは六〇年、副大統領のときにドゴールと会見して偉大さに打たれ、著作を繙いてさらに圧倒された。そして、大統領として復活を遂げてからはドゴールを鏡と仰いで職務に邁進した。
ではニクソンは、ドゴールのどのような教えを信奉したのか?
指導者とは、国民を導いていく先見性に加えて、国民を心服させるような「威信」、およびその威信から発するところの「権威」を持たなければならないという主張である。これなくしては、たとえ先見性ある政策でも、実現を期待することはできないからだ。では「権威」」とは何か? 外からは探ることも理解することも不可能だが、それでいて動かされざるを得なくなる「なにものか」だということになる。最近の言葉ならカリスマ性だが、さらに煮詰めるなら「個性」と表現されるだろう。
さて、ニクソンの指摘する指導者の資質に、都知事選挙の候補者を照らし合わせてみるとどうなるのか?
言うもおろかだろう。「威信」「権威」「個性」という言葉はパロディーとしか聞こえない。その証拠に、都知事選を「反原発」へのキャンペーンの一環として使おうとする「あの人」のほうにむしろ国民の関心は向かいつつあり、知事選自体はいっこうに盛り上がってこない。「場外乱闘」、それもリングの凡戦を尻目に行われる花形レスラーの場外乱闘、こんなプロレス用語が口をついて出る今日この頃である。
(かしま・しげる=仏文学者)
−−「引用句時点 トレンド編 [指導者とは]国民を引きつける威信と個性あるか」、『毎日新聞』2014年01月25日(土)付。
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