覚え書:「風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男」、『毎日新聞』2014年01月27日(月)付。


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風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男
毎日新聞 2014年01月27日 東京朝刊

 「原発ゼロ」は東京都知事選(2月9日)の争点にふさわしいか−−。

 世論は歩み寄りの余地がないほど割れているが、先週末、近所の映画館で遅ればせながら見た映画「ハンナ・アーレント」(2012年)が重要な視点を提供していると思った。

 哲学者、アーレント(1906−75)の、人間がなす悪についての考察が、原発と東京の有権者の責任という問題につながる−−と思われたのである。

 アーレントはドイツ系ユダヤ人女性だ。ナチスに追われ、アメリカへ亡命。第二次大戦後、ユダヤ人虐殺に深く関わったナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマン(1906−62)の裁判を傍聴した。

 アーレントは、アイヒマンを「どこにでもいる平凡な人物」と見た。戦時下では誰でもアイヒマンになり得たのであり、イスラエルの法廷で被告席に座っていたのは人類全体だとも言える−−と米誌「ニューヨーカー」で論じた。

 これが激しい議論を呼んだ。アイヒマンは冷酷、残忍、狂気の極悪人−−という、戦後の支配的な歴史認識を侵したからだ。

 アイヒマンの証言。

 「私は命令に従ったまでです。殺害するか否かは命令次第でした。事務的に処理したんです。私は一端を担ったにすぎません」

 「戦時中の混乱期でしたから、『上に逆らったって状況は変わらない、抵抗したところで成功しない』とみんな思っていた。しかたがなかったんです。そういう時代でした……」

 アーレントの断定。

 「世界最大の悪(600万人以上とされる20世紀のユダヤ人虐殺)は平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も、悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです」

 戦時のホロコースト(大虐殺)と平時の原発事故に何の関係がある−−といぶかる向きもあろうが、似た側面があると思う。

 思考停止のまま、未完の巨大技術への依存を続ければ、時に途方もない惨害を招く。福島の原発事故を見よ。直接被ばくによる死者こそ出なかったものの、故郷を追われた避難民は約14万人にのぼる。

 そういう中での都知事選である。なるほど、エネルギーの選択は国策には違いない。だが、難しいことは国が決める、専門家が決める、上司が決める、オレは知らん、自分さえ無事なら後は野となれ山となれ、という構えでよいか。

 現実の戦争だろうと、経済戦争だろうと、巨大なプロセスに巻き込まれるうちにモラルが見失われ、人を人とも思わぬ判断が繰り返されることがある。

 アーレントは、ナチスに協力し、収容所への同胞の輸送に手を貸したユダヤ人指導者の責任も問うた。彼らは非力だったが、自ら虚心に考えれば、抵抗と協力の中間に別の道があったはずだ−−と論じた。

 東京都は電力の最大の消費地だが、原発はない。核廃棄物の最終処分場は存在せず、計画もない。

 悪いのは東京電力だ、原子力ムラだ、政府だ−−とうそぶき、福島の14万避難民の苦難など眼中にない東京であってよいか。

 アーレントは米誌への寄稿「エルサレムアイヒマン/悪の陳腐さについての報告」の最後でこう言っている。被告には殺意も憎悪もなかったにせよ、絞首に値する。なぜなら「政治においては服従と支持は同じもの」だから……。

 都知事選に限らず選挙に臨む有権者が胸に刻むべき言葉ではないか。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)
    −−「風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男」、『毎日新聞』2014年01月27日(月)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm003070078000c.html


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