覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『種痘伝来』=アン・ジャネッタ著」、『毎日新聞』2014年02月02日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『種痘伝来』=アン・ジャネッタ著
毎日新聞 2014年02月02日 東京朝刊



 (岩波書店・4200円)

 ◇予防接種をもたらした日蘭交流の物語

 世界保健機関(WHO)は1958年、天然痘一掃を宣言し、1980年に、天然痘のウィルスが消滅したという「根絶宣言」を出した。天然痘は、中世から近代にかけて、人々に恐れられた病気である。感染率が極めて高く、死亡率も高かったからである。ただし、一度罹(かか)った者は二度は罹らないことはわかっていた。

 イギリスの医師、ジェンナーが1798年、種痘に成功したことは広く知られている。この本はジェンナーの発見がどのようにして西欧各国に、そして日本に伝わり、普及したか、その間の関係者たちの苦闘の物語であり、文化交流史である。

 ジェンナー以前、中国式人痘種痘法とトルコ式人痘種痘法の2つがあったことが重要であり、この本はその説明からはじまっている。

 中国式は、軽い天然痘の患者の衣服などで身体を包み、軽く感染させようというものであり、トルコ式は天然痘患者の痘疱(とうほう)から痘漿(とうしょう)をとり、傷つけた皮膚に移すもので人痘接種といわれた。だが両者とも危険をともなうものであった。

 一方、牛の病気である牛痘はかなりありふれた病気で、乳搾りの女性が感染すると牝牛(めうし)の乳房にできる痘疹に似た痘ができ、微熱やだるさを感じるが、1週間か10日でもとに復し、危険ではなかった。

 ジェンナーが試みたことは、この牛の病気も、天然痘といわれる人間の病気も関係があるのではないかと考え、いったん牛痘に罹った人は天然痘に罹らないらしいという、ある程度知られていることを実証したことである。

 ジェンナーは、感染した乳搾りの手の腫れものを少年の腕にキズをつけて移した。1797年5月であった。7〜9日後に症状が出た。そして7月、その少年に人の天然痘を接種した。しかし症状はあらわれなかった。

 ジェンナーはつぎつぎに子供たちに同じ試みを行い、その記録を克明に書きとめ、それを1798年夏、ロンドンで出版した。

 ジェンナーの正しさは追試され、またたく間にヨーロッパ各国に広まっていく。ナポレオン戦争の最中、英仏は戦っているにもかかわらずである。第2章でそれが詳しく述べられている。

 この最新技術の日本への導入は、ヨーロッパ諸国とは対照的に50年という長い年月を要した。そうした医学の進歩があったことは、ほどなく伝えられ、書物も訳される。長崎出島のオランダ医は、バタヴィア(現代のジャカルタ)の総督府に、痘苗(とうびょう)(ワクチン)を送る要請を何回となく行っている。しかし、それは6月に出航し秋に入港するオランダ船が、夏の東シナ海を通ることから、菌が死んでしまうのである。当時はそれがわからず対策がとられない。この本を読む者も3章、4章、5章と、いつ痘苗が日本にくるのか、もどかしい気持で待たねばならない。

 1849年8月11日、長崎についた船で運ばれた痘漿と痘痂(とうか)が、3人の子供に14日、接種され、1人だけに「つく」。はじめての成功である。これが子供から子供へ、九州各地へ、京、大坂、江戸へ、そして全国へ、蝦夷(えぞ)の地までまたたく間に伝えられていく。

 空白の50年間になにがあったのか。著者は蘭学者たちの「ネットワーク」の形成だという。ヨーロッパの学問を導入しようという人たちがふえ、重層化し、横につながりを持ちだしたといってよい。著者は、日本人で最初に種痘のことを知った馬場佐十郎に一節をさいている。かれはフランス語と英語、ロシア語を学び、天然痘の予防法を意味する「遁花秘訣(とんかひけつ)」という本をロシア語からの訳で残している。

 日蘭文化交流史上最も重要なのはシーボルトの来日であろう。時代も環境もよく、オランダ王の思惑もあった。ドイツの名門の医学者の出で、広い教養と内科・外科の教育を受け若いながら少佐に任じられていた。

 かれは、今までの軍医出身の医師と違って、大学で医学教育を受けていた。医学塾と診療所をつくることが許され、この塾(鳴滝塾)からは多くの人材を輩出していった。かれは、講義で基礎を、実習で医術を、そして塾生に論文を書かせた。この本にはここで学んだ多数の門人の名が列挙されている。多くの論文を書いたのは高野長英であり、シーボルトはこれら門人たちの論文によって日本をよく知ることになる。

 この1820年代の長崎の蘭学華やかなりし時代は、シーボルト事件でいっきょに冬の30年代に入る。と同時に、蘭学が長崎を離れ、各地に根づいていく。

 この冬の時代を覆すのが種痘であり、蘭学者83名が名をつらね種痘所の設置を幕府に願い出て、江戸のお玉ケ池につくられるのである。

 この本は明治と蘭学者とのつながりを明らかにして、本文を終えている。著者は、ピッツバーグ大学名誉教授で、各国語を駆使してこの力作を書いている。訳者たちの労も大変なものだったと思われる。(廣川和花・木曾明子訳)
    −−「今週の本棚:伊東光晴・評 『種痘伝来』=アン・ジャネッタ著」、『毎日新聞』2014年02月02日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140202ddm015070017000c.html





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