覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『心訳・「鳥の空音」−元禄の女性思想家、飯塚染子、禅に挑む』=島内景二・著」、『毎日新聞』2014年02月16日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『心訳・「鳥の空音」−元禄の女性思想家、飯塚染子、禅に挑む』=島内景二・著
毎日新聞 2014年02月16日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評『心訳(しんやく)・「鳥の空音(そらね)」−元禄の女性思想家、飯塚染子、禅に挑む』

 (笠間書院・3360円)

 ◇虚無を超え、自由を求めた女性のこころの遍歴

 これはその昔、日本の文化が宮廷を中心に発信され、宮廷で尊重される和歌や源氏物語が、雅(みやび)と王権の象徴として深く深くあこがれられた時代に生きた、ひとりの女性の秘めやかなこころの物語である。

 彼女の名は飯塚染子。徳川五代将軍綱吉の側近・柳沢吉保の側室。吉保が造った駒込六義園(りくぎえん)にて、花鳥風月を愛(め)でて暮らした。しかし晩年は不安にみちていた。四人の子は早く死んだ。このまま光なく老いるのか。

 彼女は夫の感化で学んだ和歌・儒教・禅の教えを結集し、人生の虚(むな)しさに必死であらがう。生きる意味を問う禅問答を設けて自ら答え、空の鳥のように自由になろうと思索的エッセイをつづった、題して『鳥の空音』。

 え−−、元禄時代。和歌。禅問答。縁のないものばかりと恐(こわ)がる必要はゼロ。そこは古典を一般読者にわかりやすく説くことに手だれの碩学(せきがく)・島内景二氏が、染子さんの心を汲(く)むやわらかな口語訳を小説風にほどこしてくれています。大船に乗った気分でどうぞ。

 元禄の貴婦人・染子さんの嘆きは意外なほど私たちにも身近。容色おとろえ子も巣立ち、ふと人生が灰色に見える瞬間はどの女性にも訪れる。それまでの彩りのある人生から無惨に切り離される思い。がんばって生きれば生きるほど、奪われてゆくこの生の不条理!

 しかも女は罪深い、女はケガレとする当時の風潮をたおやかにはね返し、ひとりこの難問に立ちむかう染子さんの心意気はあっぱれ。

 人から愛される「自分」にこだわりつづける自分とは。生と死、有と無が入りまじるのがこの世なのに、有ばかり求めるとは。毎日を惰性で暮らすくせに、未来への願望のこの大きさ、この欲深さ−−捨てて、捨てて、染子さんは自由をめざす。

 その思索の特徴は、ふわーんとした和歌の情緒が、まことに自在に仏の教えや古典、禅のエピソードをつなぎあわせ、包容力ある優美な瞑想(めいそう)のふんい気をかもしていること。

 著者の解説によればここにこそ、王朝ルネサンスとしての、柳沢吉保ひきいる元禄源氏文化圏が透けて見えるという。吉保は偉大な文化人。不倫の書として源氏物語のやや衰える江戸時代、画期的にこれを復興した。国学者北村季吟(きぎん)と儒学者の荻生(おぎゅう)徂徠(そらい)をともに重用し、伝統的な日本の和歌文化と外来の儒教文化との和合をはたした<和>の精神の人。

 吉保の側(そば)で生きた女性の内面を通し、元禄の越境的な源氏和歌文化受容の実態をミクロに照らしだすのが、本書の一つの野心である。

 それにしても「わたくしは和歌に執着して生きてきた」と言うように、染子さんを芯から支えるのは和歌力。遙(はる)かな山の端や月を恋う和歌の魂が、美への無限のエロスをかきたてる。

 極上のサプリ。昔の女性はこのように、和歌の情緒に守られて〓(ろう)たけて、病老死を乗り切ったのか。うらやましい。

 もうすぐ花の季節。仏の教えにしたがい花と合体し、無我に到(いた)ろうとする染子さんの清麗な歌と訳文を引いておく。

花ならば花ならましを桜花花の色香を花に任せて

 『一遍上人絵伝』には、「花のことは花に問へ」とある。花の心は、花にしかわからない。桜の花がどんな色に染まるか、どんな香りで匂うかは、鑑賞者である人間ではなく、桜自体が決めるべきことである。だから、わたくしは花の心を理解するために、花そのものになりきろう。
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『心訳・「鳥の空音」−元禄の女性思想家、飯塚染子、禅に挑む』=島内景二・著」、『毎日新聞』2014年02月16日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140216ddm015070009000c.html





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