書評:平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』岩波書店、2013年。

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 大阪市における文楽問題は、アートマネジメントの世界に大きな波紋を呼んだ。
 権力者が恣意的に、自分が見て「つまらない」「わからない」と感じたという理由だけで(あるいは、その発言をたしなめられたことに幼稚に反発して)、ある特定の芸術分野や団体に圧力をかけてきた場合、私たち芸術家や、芸術に関わる者は、どのような対抗措置が執れるのか。あるいは、私たちを守る法的な根拠はあるのか。
 もちろん「民主主義なのだから選挙で落とせばいい」という理屈はある。橋下氏も、よくそういった主張をする。しかし、文化行政そのものは、日本では、なかなか選挙の争点にはなりにくい。文化政策自体は、自治体で総予算の一%以下、国家財政に至っては〇・一%程度の小さな行政分野だ。圧倒的な人気を誇る政治家が現れれば、彼が文化政策を恣意的に蹂躙したとしても、それを押しとどめることは現行の法制度の下では難しいのではないか。
 繰り返すが、タリバン政権は、一時にバーミヤンの遺跡を破壊したために、世界中から非難を浴びた。橋下市政が行おうとしたことは、まったくこれと変わるところがない。文楽の首を、ゆっくりと真綿で締めていこうとしただけだ。だが、舞台芸術は、文化財と同様か、あるいはそれ以上に継続を旨とする。いったん途切れてしまった伝統芸能を復活することは、世間の想像以上に難しい。いったい為政者の恣意的な判断で、何百年と続いた伝統芸能を絶やしてしまってもいいのか。
 私たち芸術に関わる者は、なぜある種の芸術分野には公的な支援が必要なのかを、より明確に市民、国民に示さなければならない。そして、日本が法治国家である以上は、そのことを法制化し制度化し、政権が代わっても、また、ときの権力者がどんなに文化・芸術に無理解であっても、文化政策が一定程度継続するようなシステムを作っていかなければならない。
    −−平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』岩波書店、2013年、11−12頁。

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平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』岩波書店、読了。全てが市場原理に委ねられる現在だからこそ「芸術に関わる者は、なぜある種の芸術分野に公的な支援が必要なのか、より明確に市民に示さなければならない」。本書は芸術の公共性を一新する快著だ。

文楽は「面白くない」(橋下市長)。しかし『少年ジャンプ』が面白いのであればそれ「だけ」を読んでいればいいのだろうか。面白いのが悪くはない。しかし人間の力の源泉は歪な二元論的市場原理で測れるものではない。「文化の自己決定能力」にこそ存在する。

文化の自己決定能力は本物と繰り返し向かい合うことで養われるから、箱モノを全否定する訳ではない。しかしうまく使われているのだろうか。多様化した需要に応えることができる都市部と、ショッピングモール集中的な地方での格差はひらくばかりだ。

ディズニーランドのリピート率とUSJが対照的なように、入れ物があればでは、そこに生きる人間が胸を張って生きていくこととは交差しにくい。だからこそ文化的環境の整備で格差是正していくアートマネジメントが必要となる。。フランスのナント、青森県八戸市、埼玉県富士見市等々……国内外を飛び回ってきた著者の報告はひとつのヒントとなろう。

本書の副題は宮沢賢治を憧憬しつつ「市民芸術概論綱要」。文化とは誰が作り誰が育み誰が継承していくのか。それは私たちであり、その参画が格差と対峙する新しい社会創出の基盤となる。グローバルを気取るアベノミクスとは対極の議論だ。

出入り自由で各人が対等かつ闊達に向き合う空間を「広場」とすれば、コンビニ前に屯(たむろ)するような「場」はあったとしても、これまで、日本社会には「広場」はなかった。敷居の高低ではない。「新しい広場」を作ることである。著者の提言は新しい公共哲学ともいえよう。

本書で、宮沢賢治を題材とした井上ひさし『イーハトーヴの劇列車』が紹介されるが、「ひろばがあればなあ、どこの村にもひろばがあればなあ。村の人びとが祭りをしたり、談合をぶったり、神楽や鹿踊をたのしんだり、とにかく村の中心になるひろばがあればどんなにいいかしれやしない」。との言葉が印象的である。





新しい広場をつくる - 岩波書店





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平田 オリザ
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