覚え書:「今週の本棚:江國香織・評 『新しいおとな』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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今週の本棚:江國香織・評 『新しいおとな』=石井桃子・著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (河出書房新社・1728円)

 ◇すべての大人の課題図書にしたい

 すっきりしたブルーの表紙カバー、「新しいおとな」という小気味のいいタイトル、なんて颯爽(さっそう)とした本だろう。石井桃子以前と以後で、日本の子供の本棚に雲泥の差ができたことは周知の事実だが、この本にはその事実の断片が、丁寧に、清潔に書きつけられている。

 初出のいちばん古いものは一九四一年、いちばん新しいものが二〇〇七年なので、六十六年分の断片ということになる。六十六年! 一冊のエッセイ集に流れる時間としてはかなり長いし、そのあいだには、日本人の暮らしぶりも、子供をとりまく環境も、大きく変化している。でも−−。この本に登場する子供たちはいまの子供たちとちっとも変わらないように見えるし、ここにでてくる、子供たちの好きな本は、いまもちゃんと書店にならんでいる。いいものがどんどん手に入りにくくなっている、大人の本の世界とは大違いだ。

 ファンタジーとは何かをめぐる一章がすばらしい。「ファンタジーとは現実には存在しないふしぎのあらわれてくる物語だ」とした上で、子供は「すぐさま、いろいろなことをおぼえ」、そういうふしぎが現実とは違うことを知るのだが、だからといって、そういう「架空な世界」と「縁を切るわけではありません」、と石井桃子は書く。「子どものなかにはそのようなふしぎを半ば信じ、半ば望む気もち、そうであるふりを楽しむ気もちなどがいりまじって住んでいるからです」、と。

 そうであるふりを楽しむ気もち!なんていう余裕、なんていう大人っぽさ、なんていうエピキュリアンぶりだろう。大人たちも見習うべきだ。

 ここには実在の子供たちの、興味深く魅力的なエピソードが幾つもでてくるのだが、その一つに、英語で書かれた絵本を「ぼく、ほら、読めるよ」と言った男の子の話がある。一度(その場で日本語に訳してもらい)、読んでもらったその本を、彼はもちろん「読める」のであり、それは文字ではなく物語を、具体的に言えば絵を、読んでいるのだ。そうやって絵を「読む」とき、そこに言葉は発生するのであって、それは、言葉を覚えるのとは全然べつなことだ。たとえば、「おうまパカパカ」という紋切り型の一文からさえひらけ得る光景の描写−−。

 この本には、子供と本をめぐる豊かで幸福なことがたくさん書かれている。けれどその一方、いま読むと不穏な予言のように思えることもまたいろいろ書かれている。大学入試に親がつきそっている写真を新聞で見た著者の、「入学試験は、いかにつらくとも、おそろしくとも、若者の一人一人が、キンチョウして、単身出かけたほうが、りっぱではありませんか。それに、それが、あたりまえのことではありませんか」という噛(か)んで含めるような言葉や、「ベストセラー」という一編にでてくる「不信の念」とか「不審」という言葉、「戦後の子どもは、えたいの知れないものに育ちあがるんじゃないだろうか」という誰かの発言について書かれた言葉、などなどを読むと、それらの書かれたのが随分前であることに驚くと同時にぞっとして、いまこそ、いまこそ、多くの人にこれを読んでほしいと、どうしたって私は思ってしまう(ついでに言うと、「本をつくる」「秘密な世界」「本をつくる人」はぜひ編集者に読んでほしいし、「著者と編集者」を読むと、書き手である私は反省せざるを得ない)。

 あー、もし私に権力があったら、この本をすべての大人の課題図書にするのになあ。
    −−「今週の本棚:江國香織・評 『新しいおとな』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140427ddm015070031000c.html





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