覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『女のいない男たち』=村上春樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『女のいない男たち』=村上春樹・著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (文藝春秋・1700円)

 ◇うかがい知れない男女の心へのまなざし

 村上春樹の久々の短編集である。この前の短編集は、「都市生活者をめぐる怪異譚(たん)」を集めた『東京奇譚集』(二〇〇五年)。さらにその前の短編集は、神戸の震災と地下鉄サリン事件にはさまれた時期に焦点を合わせた『神の子どもたちはみな踊る』(一九九八年)。この二つの短編集は、かなりはっきりしたモチーフによって結びついた連作といった趣が強い。今回の短編群も、短期間に集中的に書かれ、主人公のあり方をめぐる一つのコンセプトのもとにゆるやかにつながっている。それは、表題が示している通り、「女のいない男たち」ということだ。どういうことだろうか? ここに収められた六編の作品を、具体的に見ていこう。

 まず、最初の「ドライブ・マイ・カー」は、若い女性を一時的に専属の運転手として雇った中年の俳優、家福(かふく)を主人公とした物語。数年前亡くなったやはり女優だった美しい妻との結婚生活は順調だったのに、彼女はなぜかときおり、別の男とセックスをしていた。妻はそれを隠していたが、彼はそのことを見抜いていた。しかし、どうして妻にそれが必要であったのかが分からない。家福は、妻の死後、彼女と「寝ていた」男と友だちになり、妻の気持ちを理解しようとするのだが……。

 二つ目の「イエスタデイ」は、田園調布で生まれ育ったのに関西弁を話す、木樽(きたる)という変人と学生時代に友だちになった「僕」が語り手となる(僕は村上春樹と同じ、芦屋の出身だが、逆に東京弁しかしゃべらない)。木樽とその恋人えりかは惹(ひ)かれあっているのに肉体関係を結ぶことなく、別れてしまい、「僕」は一六年後にえりかとある場所で偶然に再会し、木樽がいまだに独身のまま海外で鮨(すし)職人として生きていると知らされる。

 三番目の「独立器官」は、渡会(とかい)という美容整形外科医が主人公。彼の経験を「職業的文章家」である「僕」が追うという設定だ。渡会はすでに五〇代だが未婚。裕福な医師として独身生活を楽しみながら、あとくされのない女性たちと次々と関係を持ってきた。「紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです」などという警句も、さらりと言ってのける。ところが、ある時、その彼が破滅的な恋に落ちてしまう。相手は一六歳年下の人妻。かなわぬ恋に彼は苦しみ、食事も喉を通らなくなり、彼女が夫とは別の若い男と駆け落ちをしてしまったことが決定的打撃となって、ついに強制収容所の囚人のように痩せ衰えて……。プレイボーイが中年にして初めて見つけた恋は、あまりに純粋で残酷だった。

 四番目の「シェエラザード」は、「ハウス」と呼ばれる住居に潜伏して外界と連絡を絶っている男をめぐって展開する。彼のもとに生活に必要な品物を届けにくる女がいて、彼女はついでにセックスの相手もつとめ、「性交」のたびに不思議な話を聞かせてくれる。性と危険がないまぜになったところに発生する、禁断の物語の「わくわく感」が魅力的だ。

 そして、集中おそらくもっとも優れた奇妙な味の作品が、五番目の「木野(きの)」である。妻の不倫のせいで退職、離婚し、いまではバーを経営している四〇代の木野という男が主人公だ。初めのうち、バーの客をめぐる現実的な描写が続くのだが、店に居ついていた猫が消え、店の近所に蛇が次々に姿を現し、カミタという坊主頭の常連客が奇妙な警告を発し、物語は超自然的な怪異の雰囲気を漂わせ、木野は呪いを避けるかのように、店をたたんで遠くに行かざるを得なくなる……。

 最後の六番目の「女のいない男たち」は、以前つきあっていた女が自殺したとの知らせを、彼女の夫から深夜に電話で受けた「僕」の思いをつづったもので、短編集の表題の説明になっている−−人はどのようにして「女のいない男たち」になるのか。

 全体を通して言えるのは、若者文化のトップランナーを続けてきた村上が少し肩の力を抜いて、年齢相応のしっとりとした佳品を書いたという感じである。いずれも快く読める短編だが、奥底までうかがい知ることのできない男女の心の「秘密」へのまなざしは、研ぎ澄まされている。陳腐なまとめ方になってしまうが、これらの作品に共通しているのは、人が心の奥底で感じ、考えていることは、たとえ恋人どうしや夫婦であっても互いにうかがい知ることができないということだ。

 「独立器官」という奇妙な表現が意味するのは、人は自分の力ではどうすることもできない「独立器官」によって、嘘(うそ)をついて相手をだましもすれば、死に至る破滅的な恋もするということだ。考えてみると、これは神も宿命も見失ってしまった現代人に残された、純粋な愛の形を示すものではないだろうか。この境地にたどり着くまでに、村上春樹は、そして私たちは、どれほどのことを経験してこなければならなかっただろう。この短編集に現れているのは、まさに、いくつもの破局と惨事を経て初めて可能になった円熟である。
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『女のいない男たち』=村上春樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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