覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『宇宙と人間 七つのなぞ』=湯川秀樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。


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今週の本棚:中村桂子・評 『宇宙と人間 七つのなぞ』=湯川秀樹・著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊


 (河出文庫・842円)

 ◇学問とは? 知的心地よさ回復へ

 一九七四年、「ちくま少年図書館」の一冊として書かれた本の文庫化である。日本人初のノーベル賞受賞者である著者は、少年向きの本の執筆を依頼され、「自分の中学生、高校生のころをふりかえってみると、結構むつかしい本を読んでいた。半分しかわからなくても−−あるいはわからなかったからこそ、かえって−−おもしろいということもあった」ことを思い出し、「むつかしいとか、やさしいとかに余りこだわらずに、七つのなぞ式の本を書いてもよいのではないか」と考えたのである。

 なぞとは、「人間の抱く多種多様な疑問の中でも、解答をだすことが特に困難で、しかも相当多くの人に共通する疑問」であり、著者は、宇宙・素粒子・生命・ことば・数と図形・知覚・感情の七つを選ぶ。どれも魅力的だ。しかも、湯川先生、「宇宙・素粒子」はもちろん、すべての「なぞ」について御自身の言葉で語られるのである。フィンランドの英雄叙事詩『カレワラ』にある宇宙創造の話から天文学を語り、運動や物質から素粒子へと移る。そして再び宇宙へ。教えましょうという匂いがなく、まさに「なぞ」に向き合い考えている中に連れ込まれる気分が心地よい。最近のこの分野の進歩は急速であり、最先端の知識はない。多くの知識を得たい人は不満だろう。しかし「なぞ」に向き合うことの楽しさを知らずに知識をふやしてもしかたなかろう。

 「生命」は、DNA研究が始まった頃であり、物理学者として興味津々だ。ダーウィンやメンデルを語った後、生命現象も分子レベルでは物理的に理解できるようになったけれど、「われわれがなにかを感じている、あるいは認識をするというそのこと自体は、単なる物質現象とは質的にちがう」のでこれから考えたいとある。

 次の「ことば」が面白い。一九六九年生まれのお孫さんを観察し、先生の帽子を見て「おじいちゃん」と言っていたのが、「おじいちゃんの」と言うようになり、「○○と」や「○○も」もわかっていく過程を追う。関係を表す抽象的概念が半年ほどでわかるのは「なぞ」だ。表現・認識における言葉のもつ意味、さまざまな国のことば、ことばと文字……興味深いテーマをすべて体験をもとに語られることば(・・・)が魅力的で、思わず考えている自分に気づく。

 次が「数と図形」。学校で数学嫌いになった方に読んでほしい。自然数から虚数まで教室でこういう話が聞きたかったと思われるに違いない。十九世紀以降、数学がフィクションになっていくが、実は、実在を合理的に理解しようとする物理がこれに接近し宇宙・素粒子の世界につながるのである。これぞ研究の醍醐味(だいごみ)である。

 最後の「知覚・感情」は、まさに体験からの話で楽しい。思想はことばを媒介としなければ形にならないものであることは確かだ。しかし孫は鏡に映るおじいちゃんと本物とを見ても驚かない。自分と自分以外の世界が存在すると考える実在論の原型は、ことばを持たない幼児にもあると思わざるを得ないとある。

 読書を重ねたうえでの思考に違いないが、すべて咀嚼(そしゃく)された内からの言葉で語られている。この本を取り上げたのは、最近学問とはなにか、学者とはなにかと考え込まざるを得ない事柄が続いているからである。これぞ学問に向き合う人であり、そこから社会、とくに若い人に向けて発せられる言葉は平易でありながら深みがある。人間らしくあること、知的であることの心地よさを思い出し、それを取り戻したいと思う。
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『宇宙と人間 七つのなぞ』=湯川秀樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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