覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝1』=リチャード・ドーキンス著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝1』=リチャード・ドーキンス
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (早川書房・3024円)

 ◇世を揺るがす科学者の飾り気のない自叙伝

 「生物個体は単なる一時的な遺伝子のヴィークル(乗り物)である」と説いた『利己的な遺伝子』で鮮烈なデビューを飾り、その後『神は妄想である』で徹底的な無神論の立場を表明し、世界中を震撼(しんかん)させたリチャード・ドーキンス。本書は科学者であり……いや、むしろ科学啓蒙(けいもう)家、思想家と呼ぶに相応(ふさわ)しい彼の自伝の前半である。彼の提唱する説は賛否両論を巻き起こすが、現在、科学界以外にも影響力を与える伝道師としては、世界でも屈指だろう。

 本書はまずドーキンス家一族の写真の口絵から始まる。アッパークラスが登場する古き時代の英国映画を見ているようだ。それに続いて登場するのが貴族に連なる十八世紀からの家系図。そう、ドーキンスは自ら認めるとおり、英国の特権階級であり、パブリック・スクール(英国では裕福な子弟が入学する私立学校)を経て、オックスフォード大学に入る。階級社会の英国での、典型的なエリートコースを歩んでいる。

 本文は、彼の十八番である遺伝子の話と絡め、先祖の話からスタートする。家系図と首っ引きで、ドーキンス一族の成功譚(たん)を読むのは、正直胸焼けがしなかったわけでもない。しかし、ドーキンス本人の誕生の話から物語が動き始める。彼の父が植民地省の官僚だったため、彼はアフリカで産まれ、幼年時代をアフリカで過ごした。彼が母の胎内にいるところから、幼年時代に至るまでの記録は、母の手記を元にしている。以下、読み進めるにつれて、本人の記憶の鮮やかさにも驚かされるが、彼の母のように日記などを綴(つづ)っていたのかもしれない。

 多彩な方面で能力を発揮するドーキンスであるが、どんな子ども時代を送ったのであろうか。これが、最初から完璧なのである。率直に過去を振り返っているが、自分で指摘する短所でさえも長所に見えてしまう完璧さなのだ。これは明らかに、凡人である私の僻(ひが)みであろう。しかし、読み進めていくうちに、感情をふんだんに交えた素直な回顧により、彼の性質の魅力に取り込まれていく。

 興味深いのが、現在はダーウィンを信奉し、さらに強烈な無神論者である彼であるが、少年時代は敬虔(けいけん)なキリスト教信者であり、神が生物をデザインしたという「創造論」に傾倒していた過去である。いずれにせよ、今の彼は創造論と対立するダーウィンの進化論を引き継いでいるし、『神は妄想である』を著す徹底した無宗教家となった。父方の先祖が七代も続く教区牧師だったことは皮肉だ。

 圧巻は、本書のクライマックスとなる『利己的な遺伝子』を出版するに至った背景を書いた章だろう。彼の人生の転機となったこの本に取り組んだ時の興奮が、圧倒的な熱量を持って伝わってくる。

 それにしても、ドーキンスの「伝記」ではなく、自身が「自伝」を記してくれたことは、私たちにとって幸運だろう。彼が読ませる文章の名手であることはもちろん、彼自身が当時と今の感情を細やかに、素直に描写している。プレップ・スクール(パブリック・スクールの予備校にあたる寄宿学校)で同級生のいじめを止められなかったこと、就職後の米国のカリフォルニア大学バークレー校で無意味なデモに参加し、同僚の先生に圧力をかけてしまったことを振り返り、悔いている。

 このような飾り気のないドーキンスの自伝は、彼のファンも心動かされるだろうし、彼に興味のなかった人にも彼の著作を手にとらせる力があるはずだ。(垂水雄二訳) 
    −−「今週の本棚:内田麻理香・評 『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝1』=リチャード・ドーキンス著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140622ddm015070073000c.html





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