覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『海外戦没者の戦後史−遺骨帰還と慰霊』=浜井和史・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『海外戦没者の戦後史−遺骨帰還と慰霊』=浜井和史・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (吉川弘文館・1944円)

 ◇戦争責任めぐる真の議論の土台

 先の大戦戦没者を、国家はいかに追悼すべきなのか。この問題について昨年、日本とアメリカの当局者間で演じられた政治劇を読者はご記憶だろうか。

 安倍首相は昨年、国会答弁やインタビューで次のように語ることが多かった。靖国神社とアーリントン墓地は戦没者追悼という点で同じようなものなのではないか、と。対するアメリカは、昨年10月、国務長官と国防長官二人を千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花させ、千鳥ヶ淵墓苑こそがアーリントン墓地に最も近い存在だとの認識を行動で示した。だが、12月26日、首相は靖国神社参拝の挙に出、対するアメリカは「近隣諸国との緊張を悪化させる参拝に失望」との声明を迅速に発表して応酬した。

 日米の攻防を見るにつけ、「戦後」は終わっていないと実感した次第である。そう感じていた矢先、戦後の日本が海外戦没者の遺骨帰還をいかに進めたのかにつき、アメリカの方針、フィリピンなど相手国側の対応、遺族の心情等を交えて豊かに描いた本書が現れた。

 巻末で著者は、「戦後」がいつまでも終わらないと嘆く必要はなく、「終わらないことの意味を問い続けること、それが許されている時代の方がずっと幸福なのだということを、われわれは銘記すべきであろう」と述べる。静謐(せいひつ)さをたたえるこの一文で巻を結んだ著者の本だからこそ、本書は信頼にあたいし、何度も読み返すべき著作となった。

 日中戦争開始以降の戦没者は約310万人であり、このうち日本本土以外(沖縄も含む)では約240万人が亡くなっている。だが、昨年の時点で日本に帰還しえた遺骨は約127万柱で、海外戦没者のほぼ半数に過ぎない。1952年における未帰還の遺骨数を示す史料によれば、最も高い未帰還率8割を超える戦場はフィリピンであって、硫黄島がそれに続くという。本書はこのような基本的な事実関係を外務省や旧厚生省作成の記録から丁寧におさえている。

 ついで著者は、遺骨に対する国家としての方針の変転を跡づけた。戦前の戦没者は火葬にふされた上で遺骨が内地還送される決まりであった。日露戦争満州事変後の遺骨をめぐる公的儀礼は丁重を極めたものだったが、43年のガダルカナル撤退以降ともなると内地還送方針は放棄され、政府も軍も、遺骨箱の中身が何であれそれを英霊と見なすフィクションを遺族に強いていった。

 独立を回復した日本は、53年からアメリカ・イギリス・オーストラリア管轄下の島々やビルマ・フィリピン等へ遺骨収集団を送り、なしうる範囲で「代表的な遺骨」(象徴遺骨)を持ち帰った。アジア諸国が蒙(こうむ)った惨禍を考えれば、諸国が日本の遺骨収集団に示した反発の強さもうなずける。50年代の日本が、象徴遺骨の収容のみをもって、海外における全戦没者の遺骨帰還を完了したとみなしたのも無理からぬことだった。だが、国家が措定したそのようなフィクションは、遺骨が戻らない限り戦争は終わらないと考える遺族にとって認めがたいものだったに違いない。

 戦前戦後を通じ、遺族は国家の方針に翻弄(ほんろう)され続けてきた。還送された遺骨のうち、引き取り手のない遺骨を収容する場所として、国は59年、千鳥ヶ淵墓苑を創建する。だが遺族会は、靖国神社に代わりうる施設として同墓苑を是認しようとはしなかった。遺族会が示した躊躇(ちゅうちょ)の重さを想起すること一つから、日本の戦争責任をめぐる真の議論が始まるのではないか。本書はその重要な土台を築いてくれた。 
    −−「今週の本棚:加藤陽子・評 『海外戦没者の戦後史−遺骨帰還と慰霊』=浜井和史・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140622ddm015070080000c.html





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