覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『渇きの考古学−水をめぐる人類のものがたり』=スティーヴン・ミズン著」、『毎日新聞』2014年07月27日(日)付。


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今週の本棚:養老孟司・評 『渇きの考古学−水をめぐる人類のものがたり』=スティーヴン・ミズン著
毎日新聞 2014年07月27日 東京朝刊

 (青土社・3888円)

 ◇古代遺跡が教える「自然とともに仕事を」

 ヒトとドブネズミはとくに多くの水を必要とする哺乳類である。今の季節には熱中症への注意が絶えず広報される。その背景は脱水である。しかもヒトは社会的動物で、集団で暮らす。集団が大きくなり、都市を形成すると、水の供給が大問題となる。飲料水を典型とする生活水、農業用水の供給、そのための灌漑(かんがい)が常に都市の死活問題となった。中国史では水を治めるものが天下を治めるとされた。

 ヒトは水のような汗を大量に出す。周知のようにイヌやネコはそういう汗をかかない。汗は蒸発して、蒸発熱を奪い、体温を下げる。日本のように高温多湿の夏だと、汗がだらだら垂れ流しになって、じつは汗をかく意味がない。本書で最初に扱われる中近東は、高温だが乾燥した地域だから、住みやすいはずだが、乾燥するということは、そもそも水が不足がちだということである。その意味で人は矛盾した動物というしかない。

 本書は古代文明と水の供給システムについて、考古学者である著者が実地を訪問しながら、その歴史を語るという体裁をとる。挙げられているのはレバント、シュメール、クレタ、ナバテア、ローマ、中国、アンコール、マヤ、インカなどで、それに「過去を知り、未来の教訓とするために」という序章と、まとめとしての最終章を付し、全体で十二章の構成になっている。

 著者はそれぞれの場所でとくに発掘に関わるわけではない。単なる旅行者として現地を訪問し、学界でこれまでに知られていること、議論されてきた問題を要領よく紹介する。その点では、ふつうの観光客にも参考になる書き方である。たとえばローマでいうなら、マンガの『テルマエ・ロマエ』が人気なくらいだから、カラカラ浴場は多くの人が訪れると思う。でも著者はさらにローマ市の南八キロにある「パルコ・デッリ・アクエドッティ」を紹介する。日本語なら水道公園であろう。そこではローマ時代の風景を偲(しの)ぶことができる。著者はそういう。水道に限らず、私は旅では墓地を見学するが、自分が興味を持つ一面に注目すると、単なる観光ではなく、旅行がずいぶん興味深くなる。さらに水路は多くの部分が地下に埋もれているから、遺跡を見学するにも、ある程度の予備知識が必要なことが、本書からよく理解できる。

 アンコールやマヤのような熱帯では、水の供給はどうだったのだろうか。どちらも精巧な水利システムを持っていたが、今では密林に埋もれてしまっている。これらの文明の崩壊については、さまざまな議論があった。しかし現在では、その原因は気候変動だと推測されている。すなわち洪水と干ばつの繰り返しである。雨季と乾季が極端になったと思えばいい。たとえば巨木の年輪から、水の多かった年、少なかった年がいまでは測定可能である。

 現在のわれわれは、その原因が人工的であるか否かはともかく、気候変動の時期にいるらしい。今年の米国では、西は干ばつ、東は集中豪雨である。最終章で著者は将来について楽観的になるか、悲観的になるかを論じ、結局はどちらでもないとする。ただし注目すべきことは、現代世界で水問題で危機が生じている場所の多くは、古代に精緻な水利事業が行われていた場所だということである。それは現代になにを教えるか。都江堰(とこうえん)を建設した李冰(りひょう)がしっかりと心にとどめていたことを、著者は最後に引用する。「自然に逆らわずに、自然とともに仕事をせよ」(赤澤威、森夏樹訳)
    −−「今週の本棚:養老孟司・評 『渇きの考古学−水をめぐる人類のものがたり』=スティーヴン・ミズン著」、『毎日新聞』2014年07月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/m20140727ddm015070018000c.html





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渇きの考古学―水をめぐる人類のものがたり
スティーヴン・ミズン
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