覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『吾輩ハ猫ニナル』=横山悠太・著」、『毎日新聞』2014年07月27日(日)付。

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今週の本棚:中島京子・評 『吾輩ハ猫ニナル』=横山悠太・著
毎日新聞 2014年07月27日 東京朝刊

 (講談社・1296円)

 ◇笑い誘うルビ、日本語の豊かさ再発見

 いまから正確に百年前、日本人が競って読んだベストセラー小説が何か、ご存じだろうか。それは、夏目漱石の『坊っちゃん』である。

 書名を見ただけで漱石のパロディとわかるこの小説は、八十年代生まれの著者による処女作だ。『猫』のみならず、漱石好きならば、「あ、『草枕』だ」「あ、『こころ』だ」と、漱石文体や引用があちこちちりばめられているとわかる一冊だが、内容的にも文体的にもいちばん近いのは青春小説『坊っちゃん』だろう。<明治文学のパロディ>とか<日本語と中国語が混在する文体>の批評性とかいったもの以前に、近代日本文学史上傑出したユーモア小説の書き手であった漱石の衣鉢を継ぐ意思を鮮明にした、この小説のここちよい<笑い>をこそ、まずは歓迎したいと思う。

 日本語の初歩学習者である中国人学生のため、辞書を使わずに読める日本語小説を志向して書かれた、という前置き部分以外は、日本人の父を持ち中国で育った駿(カケル)という青年の一人称小説の形がとられる。使用される言葉の多くが漢字で書かれ、それらが日本語の使い方とは異なる中国語的なものであり、笑いを誘われるルビが振られているところが、この小説の大きな魅力である。一文を引いてみる。

 「拉麺(ラーメン)がまだ来ない。一起(いっしょ)にたのんだ鍋貼(ギョーザ)はとうに『お熱いうち』の期間を通りすぎ、三分の二は嘴(くち)に入れてしまったのだが、一向に主角(しゅやく)がやってくる動静(けはい)はない」

 拉麺、鍋貼は昨今の<本格>風中華料理屋の積極的な漢字導入によって目にするようになっているかもしれないが、日本語で嘴と書けば鳥の尖(とが)った口先のようだし、主角も使うとしたら<主役>だろうか。動静は言わずもがな、<気配>だ。しかし、たしかに明治時代の小説を読んでいたりすると、現在とは違う使われ方をするルビに出会う。いまも漢字だけの歌舞伎の外題(げだい)に振られた大和言葉のルビにはうならされることが多い。漢字にルビを振るのは、日本語の文字文化のたいへん豊かな伝統だ。作者はこの日本語の武器を縦横無尽に使いたおす。そこには、近代小説の言葉が造られた百年前の時代のような懐かしさとライブ感に加えて、日本語の豊かさを再発見させて未来につなげてくれるような勢いがある。

 引用部のカッコ内「お熱いうち」とは、中国語の慣用句「趁熱吃(熱いうちにお食べなさい)」の直訳と思われるが、このような中国語由来の言い回しは古来、日本語を作ってきた。こうした外国語由来の表現の日本語直訳の文学作品への導入は、たとえば村上春樹の小説がしばしば行う英語表現の日本語直訳導入を思い起こさせる。明治以来の横文字文化優勢、あるいは戦後のアメリカ文化優勢に対して、今日、漢語からの言葉の移入はいっそ新鮮でもある。

 蘇州で学生をしながらブラブラしている五十田駿(いそた)は、日本人と中国人の、そして日本語と中国語の混血(ダブル)である。猫と出会ったり、ビザの更新のために日本に来て秋葉原メイドカフェを訪ねたりする日常の中に、ダブルの豊かさと孤独が描かれる。

 「日本と中国が何かの競技で国際試合をすれば輸(ま)けているほうを応援するだろう。だってそれが人情というものじゃないか。自分は自分で自分を防衛するために敢(あ)えて国境上に胡坐(あぐら)を組み、其処(そこ)で一人釣り糸を垂らし微睡(まどろ)みの裡で獲物を待つ」

 駿が呟(つぶや)く言葉は、中国文化、中国文字とのダブルである日本語を国語として持つ、国籍や血筋から言えばシングルの読者の胸にも、静かに強く響いてくる。惜しくも受賞を逃した、第一五一回芥川賞候補作。
    −−「今週の本棚:中島京子・評 『吾輩ハ猫ニナル』=横山悠太・著」、『毎日新聞』2014年07月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140727ddm015070011000c.html





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