覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『人類が永遠に続くのではないとしたら』=加藤典洋・著」、『毎日新聞』2014年08月10日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『人類が永遠に続くのではないとしたら』=加藤典洋・著
毎日新聞 2014年08月10日 東京朝刊


 (新潮社・2484円)

 ◇有限の時代の新しい行動原理

 我々の社会に根源的な変化が起こりつつある。

 フクシマの原発事故はそれを教えるきっかけだった。無制限に成長してきたものがどこかで限界を超えたのに、人はそれに気付かなかった。高いところを歩く夢遊病者のようなものだ。目覚めたら落ちる。

 本書の著者はその変化を保険会社のふるまいに読み取った。「『日本原子力保険プール』が、東京電力福島第一原発に対する損害保険の契約を更新しない方針を固めたことが分かった」という新聞の報道を、現行の経済システムぜんたいの崩壊と受け取る。次の事故の規模は保険会社連合の資力を上回る。「私たちはあるときから、自力では『弁済』できないほどの『過失』を犯しうる存在になった」のだ。

 変化が始まったのは一九六〇年代だったか。生産中心から消費中心になり、『ゆたかな社会』(ガルブレイス)が実現した。しかしそれは持続可能ではない。『沈黙の春』のレイチェル・カーソンの警告は後にもっと一般化されてローマ・クラブの『成長の限界』になった。

 つまり、二つの未来像があったのだ。一方はこの近代がずっと続くという楽観論であり、もう一つはこのままではいずれ破綻が来るという不吉な予言。

 これは無限と有限の問題である。経済は世界が無限であることを前提にして動いていた。外から何かを取り込むことで中の繁栄を維持する。産業資本主義は、市場と資源と環境が無限だと一方的に仮定して限りなく成長してきた。

 しかしそれは有限だった。支払いを先へ先へと延ばすことはもうできない。原発が保険の対象にならないとはそういうことだ。保険と投資では「二〇〇兆円」の産業リスクには対応できない。

 さまざまな分野で限界が来ている。実はそれはとっくに来ていたのであり、我々はなんとかそれをごまかしてここまでやってきたのだ。福島第一はもうごまかしきれないことを明らかにした。

 ではこれからは「成長の限界」を意識して我々は我慢の日々を送らなければいけないのか? 警告は脅迫的で、我々を萎縮させる。反原発の主張に正義派のうさんくささを感じて同調をためらう者は多い。「人はパンだけで生きる存在ではない」のに、環境論者はパンのことしか語らない。

 沈みつつある船の上でダンス・パーティーをしている。今は今、それでいいじゃないか、という声に対して有効な反論がない。早い話が、我慢は楽しくないのだ。この行き詰まりはどうやれば突破できるか。

 本当のところ、これは決して読みやすい本ではない。その場その場で提出される術語が多いし、アリストテレスホッブズから吉本隆明中沢新一まで、思想家たちからの引用も多岐に亘(わた)る。話題はあちこちに飛んで論の流れが掴(つか)みにくい。著者は悪戦苦闘している。未知の苦境に置かれて(これは著者も人類も、ということだが)なんとか先の図を描こうとしている。安易に走ったら描く意味がない。悲観に傾いたら何も描けない。読者はその苦しい闘いの現場に立ち会う。息が詰まる。

 更なる変化の兆しはある。

 「この間の時代の動きが教えることは、『役に立つもの』よりも『素敵なもの』、『大きなもの』よりも『小さなもの』、『重厚なもの』よりも『軽微なもの』に、私たちの欲求と関心が向か」っていることだと著者は言う。たとえばウォークマン、あるいはアップルのとてもパーソナルなコンピューター。

 インターネットは多くのサービスを無償で提供する。ウィキペディアはボランティア(自発的な贈与の姿勢)で運営されている。ヘルシンキの大学院生リーナス・トーバルズは自力で開発したOS「リナックス」を無償で世界に手渡した。貨幣経済とは別の原理が動き始めている。勝手連のような、いわば善意の愉快犯。「人を動かす力の交代」と著者は言う。

 何人もの思想家の知恵を引いて、多くの論を重ねても確たる結論には至れない。産業資本がさんざ食い物にしたアフリカの人々まで含めて、今後この世界ぜんたいを安定して続かせる原理はあるのか。

 我々はずいぶん前から世界が有限だということをどこかで意識して行動してきた。あることをするかしないかと問われた時に、しない方を選ぶセンスを身に付けてきた。あるいは売買からの自由、手の中にあるものを他人にそっと手渡す喜び。近代の経済本意の自我よりずっと深いところにある、競争ではなく共感の自我。

 「贈与とは、見返りを欲しない投資であり、その意味で、リスクの行使なのだ」と著者は最後に近いページで言う。これが結論ではない。試行錯誤の一つのポイント。金銭・通貨の魔力から逃れる一つの道、とぼくは読んだ。
    −−「今週の本棚:池澤夏樹・評 『人類が永遠に続くのではないとしたら』=加藤典洋・著」、『毎日新聞』2014年08月10日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140810ddm015070023000c.html





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人類が永遠に続くのではないとしたら
加藤 典洋
新潮社
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