覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『ジャパニーズ・アメリカ −移民文学・出版文化・収容所』=日比嘉高・著」、『毎日新聞』2014年08月10日(日)付。


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今週の本棚:若島正・評 『ジャパニーズ・アメリカ −移民文学・出版文化・収容所』=日比嘉高・著
毎日新聞 2014年08月10日 東京朝刊

 (新曜社・4536円)

 ◇北米日系移民が生んだ「境域の文学」

 「俺は古本屋を歩く/そして古雑誌や古書籍を購ふ/其度にエキサイトする。」

 これは一九二一(大正一〇)年に、清水夏晨(かしん)という詩人が私家版で出した詩集『永遠と無窮』に収めた一篇「古本屋を歩く」の歌い出しである。それから百年近く経(た)った今のわたしたちは、名前を聞いたことのない詩人のこの一節を読んで、どんなことを思うだろうか。これを書いたのはいわゆる古本マニアで、今でもいそうな人間、つまりはわたしたちに似た人だと思うかもしれない。しかし、「エキサイトする」という言葉の使い方に、妙なひっかかりをおぼえるはずだ。その疑問は、続く一節を読むと氷解する。

 「何故に?/俺は知らない。/然(しか)し寂しい移民地で−−/此の外国で−−多くの同胞が/酒や女に其本能の懊悩(おうのう)をいやす様に/古本屋を歩く時の俺のエキサイトは/俺をよろこばせ亦(また)悲しませるのだ。」

 詩人はべつに古本マニアではない。彼は大勢の日本人移民として、北米に渡った。そして、英語が話され書かれている異郷になかなか同化できず、それゆえに日本語に飢え、日本の雑誌や書籍をむさぼるように読み、「エキサイト」して、さらには書いたのだ。彼の背後には、同じように読み、そして書いた、多くの「同胞」としての日系移民たちがいる。そういう人々の存在を、これまでわたしたちはほとんど意識したことがなかったのではないか。

 本書『ジャパニーズ・アメリカ』が豊富な資料や丹念な読解とともに描き出しているのは、渡米熱がピークに達する一九〇〇年前後に始まり、第二次大戦中に日系アメリカ移民が強制収容所で生活することを余儀なくされた時期へと至る、日系アメリカ移民が日本語で書いた文学作品の全貌と、そのような営みを下から支えていた、移民地の日本語新聞や日本書店、そして収容所図書館といった文化的基盤である。

 ここで取り上げられている作品には、わたしたちにとってなじみの深いものもあるが、たとえば永井荷風の『あめりか物語』を取り上げた章では、日本人作家永井荷風による異文化観察の記録としてではなく、アメリカに定住することも視野の中に入っていた、潜在的移民の文士志望者永井壮吉による、将来の行方も定かではない彷徨(ほうこう)が映し出されたものとして論じられる。有島武郎の「或(あ)る女のグリンプス」も、主人公田鶴子の人物造形を、いわゆる「写真花嫁」として渡米した多くの女性たちが移民先でどのような視線にさらされたかという、「時代的な類型性」の背景に置き直し、男性の移民史に対して別の視座を提供する可能性を持つ作品としてとらえられる。もちろん、わたしたちがまったく知らないような作品も多数紹介されていて、死んだはずの漱石の「猫」が生き返り、汽船に乗り込んでサンフランシスコに渡り、そこで日本人移民の生活ぶりを見聞したという荒唐無稽(むけい)な設定の、保坂帰一『吾輩の見たる亜米利加(アメリカ)』がとりわけ興味深い。

 北米日系移民文学が指し示すのは、日本文学とアメリカ文学、あるいは日本人とアメリカ人といった、さまざまな問題がせめぎ合う場であり、著者の言葉を借りれば「<境域>の文学」である。歴史のはざまから立ち現れたようなその<境域>の姿と広がりに、わたしはそれこそ「エキサイト」させられたし、グローバル化が叫ばれるかたわらでナショナリズム的言説が幅を利かせる今日のような時代にこそ、本書は意義を持つのではないかという夢想に誘われた。 
    −−「今週の本棚:若島正・評 『ジャパニーズ・アメリカ −移民文学・出版文化・収容所』=日比嘉高・著」、『毎日新聞』2014年08月10日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140810ddm015070027000c.html


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