覚え書:「今週の本棚・この3冊:井上ひさしと戦争文学=成田龍一・選」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:井上ひさしと戦争文学=成田龍一・選
毎日新聞 2014年08月17日 東京朝刊

 <1>父と暮せば井上ひさし著/新潮文庫/367円)

 <2>伝記一週間(井上ひさし著/新潮文庫/907円)

 <3>組曲虐殺(井上ひさし著/集英社/1296円)

 戦争とはどのようなものであったか、また、戦争中の社会や人間のようすはいかなるものか−−このことをめぐって、厖大(ぼうだい)な証言が残されている。戦後の時間の大半は、そのために費やされていったといってもよい。文学としては、戦争文学というジャンルがそれにあたる。

 戦争文学は、作者の独自の角度からの戦争の切り取りがなされる。大岡昇平ならば「兵士」にとっての戦争が実存的に問われ、吉村昭ならば「史実」のひだのなかで、人の生き方が重ね合わされる。そして、大西巨人ならば「軍隊」のもつ非人間性の告発となるように。

 こうしたとき、井上ひさしは「庶民」にとっての戦争を、さまざまな局面から描く。さらにそれを物語として提供し、それまでになかった戦争の語り方を編みだした。

 広島の原爆を描いた『父と暮せば』では、被爆死した父が幽霊となって現われ、生き残った娘と対話する。幸せになってはいけないのだと悩む娘に、父はいう−−「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために(おまえは)生かされとるんじゃ」。原爆の経験を伝えることの意味を、井上はていねいに説く。

 井上は、また、戦争の多様な経験を記した。海外の地での敗戦、敗戦前後の人びとの行動、あるいは東京裁判をめぐっての人びとの議論も取り上げた。そのなか、『一週間』は、シベリア抑留の問題を扱っている。文字どおり一週間の出来事が、文庫本で662ページのなかに記される。寒さと飢え、強制労働に明け暮れる悲惨な環境での出来事だが、そこは井上ひさしの筆によって波瀾(はらん)万丈の物語とされた。戦争を考えるときのこわばりをはずしながら、しかも正面から戦争と向き合う道を探る営みであった。

 最後の戯曲となった『組曲虐殺』は、拷問によって殺された小林多喜二のメッセージを、井上のメッセージと重ね合わせ伝える。「絶望から希望へ橋渡し」を試みる多喜二の緊張感を、笑いやペーソスも盛り込み描く。多喜二の死のさきに、戦争が待ち構えていたことを、『組曲虐殺』は思い起こさせる。

 戦争は、たえず意識していないと亡霊のように立ち上がってくる。その戦争について、さまざまな仕掛けによって、考えさせ記憶させ、記憶させ認識させ、そして議論を誘発させることが、井上にとっての戦争文学であったろう。 
    −−「今週の本棚・この3冊:井上ひさしと戦争文学=成田龍一・選」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140817ddm015070032000c.html





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