覚え書:「今週の本棚:鼎談書評 「花子とアン」の世界 評者・高畑勲、岩間陽子、中村桂子」、『毎日新聞』2014年08月31日(日)付。

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今週の本棚:鼎談書評 「花子とアン」の世界 評者・高畑勲、岩間陽子、中村桂子
毎日新聞 2014年08月31日 東京朝刊



 ◇評者・高畑勲(アニメーション映画監督) 岩間陽子(政策研究大学院大教授) 中村桂子(JT生命誌研究館館長)

 ◆『赤毛のアン』 L・M・モンゴメリ著、村岡花子・訳(新潮文庫・724円)

 ◇人生描いたユーモア−−推薦・高畑氏

 高畑 この本が登場した時、僕は既に大人になっていたから、実は読みませんでした。本屋に並んでいるのを横目で見ていました。それが1970年代にテレビアニメ化することになり、初めて読んだ。アンは、従来のアニメの主人公のようにけなげじゃないんですね。可愛げがない。自己主張が強くて、すぐに不満をもらす。でも、すごく面白い。育ての親であるマリラたち大人の立場も幅広く描かれています。子供を持った親には実によく分かる。だから、アニメではアンの側だけに立たず、ナレーションを男性の実況中継ふうにして、客観的な視点を心がけました。これはただの「少女小説」ではなく、「ユーモア小説」であると。ユーモアというのは、人生を描くことです。それと、おしゃべりの意味を考えました。日本人に一番欠けているものです。日本だと自分から言い立てずに、すねたりうつむいたりして、周囲から察してもらうのを待ちますが、アンの世界ではみんながよくしゃべる。しゃべることで誤解が解け、物事が前へ進んでいく。これは日本のアニメにとっても意味があるなあと思いました。

 岩間 私は小学校高学年から中学生にかけて、リアルタイムで読みました。マシュウとマリラは実際には兄妹(きょうだい)なのですが、マシュウは典型的な日本のお父さんに思えてスッと物語に入って行けました。厳しいお母さんの後ろでオロオロしているお父さんの感じです。そして、現実の女の子は、けなげではありません。言いたいことや抗議したいことがいっぱいある。それをアンが全部言ってくれるのです。私の母は戦中世代で、いかに物がなくて苦労したかをこんこんと諭し、女の子はこうでなければならないという人でしたから、読むとすごい解放感がありました。

 中村 私は中学時代は先生から島崎藤村とか芥川龍之介を薦められて、アンは高校に入ってから『風と共に去りぬ』や『あしながおじさん』と同時に読みました。日本語訳が刊行された1952年というのは、ものを言う女の子が受け止められるタイミングだったのでしょう。ただ当時、アンに対しては「想像力はあるけれど、あなた、しゃべりすぎ! 黙って考えたらどう?」という気持ちがあって(笑い)。実は、それほどインパクトは強くなかったのです。それが今回、改めて読んでみると実に面白い。プリンス・エドワード島やグリン・ゲイブルスなど、「土地の物語」という気がしました。自然と人との関係が日本人である私の気持ちにぴったりでした。アンの成長物語としてだけ読むといっぱい抵抗がありますが、地域住民を含めた全体のつくりがいいですね。

 高畑 つまり共同体でしょう。昔は抜け出したくてわずらわしいものだったムラが、発表当時はあった。今、それをすごく(肯定的に)意識するようになったってことかな。

 岩間 しかし、今の子はアンを読まないですね。図書館で埋もれているのではないでしょうか。ケーキやきれいな服、音楽会は私たちの頃はあこがれでしたし、読んだ後にぼーっとする時間もあった。今の女の子はそうではありません。作品のおっとりした速度感やリズムが、映像世代の今の子にとってリアリティーを持てないのかもしれません。そもそも、アンの世界ではびっくりするようなことが起きません。生活の物語であって、非日常といえばピクニックや音楽会、学芸会程度です。

 ◇男性の存在感も魅力−−中村氏

 中村 大人が読む本だと思えばいいんじゃないかしら。女性の登場人物が多い中で、私はマシュウの存在にとっても魅力を感じます。表には出さないんだけど、アンに何かを感じていて、役に立とうとします。

 高畑 読者は自分の父親と比べますよね。今の女の子が読んで、ちゃんと分かると思いますよ。

 岩間 面白かったのは、マシュウとの関係でマリラが変わっていくところです。この本は、実はマリラの成長物語でもあります。天から降ってきたような女の子、しかもこんなによくしゃべる子を受け入れた二人こそ、実は最もぶっ飛んでいます。子供の頃は気付きませんでした。

 中村 救いも笑いもたくさんある作品ですね。


 ◆『アンのゆりかご−村岡花子の生涯』 村岡恵理・著(マガジンハウス・2052円)

 ◇翻訳が生き抜く支え−−推薦・岩間氏

 岩間 本書は朝の連続テレビ小説の原案です。昔は本屋で翻訳者別に本が並んでいて、翻訳者によって読みたい本を決めていた時代がありました。その中でもやっぱり村岡花子のアンは輝きが全然違う。お説教臭さが一番薄いんですよね。それで、本書を読んで、どんな状況で翻訳されたのかを知り、そうだったのかと。彼女は単に仕事として訳していたのではなく、この本が戦争の中を生き抜いていくための生きる支えそのものだったから、こんなに緊迫感がある本が生まれたんだなと感じました。

 また、花子自身が波瀾(はらん)万丈な人生を送ったことが分かります。小さい頃、実際は家庭があまり幸せではなかったという話が出てきますし、既婚男性との大恋愛の末の結婚も当時としては大冒険のようでした。それから、ヘレン・ケラーに会うなど、文化人としての地位を築いた人でもあります。まったく知らなかったので、この本とめぐり合うことができて感謝しています。久しぶりに花子を思い出すきっかけになりました。

 中村 私の母と花子が同じ世代です。その時代の女性の生き方を考えると、花子のお父様が才能を見越して、特殊な教育を受けさせたことがすごい。それで、歌人佐佐木信綱に短歌を習ったことで、人間関係が広がり、素晴らしい人と接することで育っていく。そういう機会を持てたことは、幸せな方だったなあと思いながら読みました。宣教師のミス・ショーから『アン・オブ・グリン・ゲイブルス(赤毛のアン)』を渡された時、「一国の本を他国の人が読むことで人間はうまくつながっていく」という趣旨のことが言われますでしょう。私はこの言葉がとっても印象に残っています。多分、花子もそれが心に残って、訳し続けられたのでは。

 ◇女性の自由と大恋愛−−高畑氏

 高畑 この本を読んだ時に二つのことを思いました。一つは恋愛です。あの時代の女性は大恋愛をしている人が多い。思想家の平塚らいてうをはじめ、柳原白蓮(びゃくれん)はもちろん、結婚はしなかったけど政治家の市川房枝も。女性が自由を求めていく時には必ず恋愛が絡んでいるんだなと思ったんですよね。花子も、そうだとは全然知らなかった。

 岩間 もっと真面目なおばさんだと思っていました。

 高畑 写真を見ると、当時社会的な活動をした有名人と一緒にいるけど、花子が入っていることは、あまり知られていなかったんじゃないかな。ただ、戦中には非常に難しい局面がありました。1941年12月8日の開戦時に、9年続けた「ラジオのおばさん」を辞めていますね。発言しないという態度がはっきりしていますが、逆にこのあたりの事情をもう少し知りたくなりました。当時の男性たちは大体流されていますが、女性たちはどうだったのだろうと。

 中村 そういう意味では、花子は自分できちんと価値観を持っている女性ですね。

 本書の中で、花子の夫の〓三(けいぞう)の弟が「イギリスではね、本そのものが芸術なんですよ。それに負けない本を作りたい」と言う場面があります。ここは本好きの人間として、とても印象的でした。インターネットの時代になってしまいましたが、本を大事なものとして作っていく、それは中身もそうだし、作りもそうです。

 高畑 昭和初めの本は凝っていて、すごいですよね。今の時代では考えられない。出版人としての志があったんじゃないでしょうかね。今は「売れない」の一言ですから。

 岩間 この時代の翻訳文学、それも児童文学は、すごくマーケットが成長している時期に重なったっていうことは大きいですよね。



 ◆『村岡花子童話集 たんぽぽの目』 村岡花子・著(河出書房新社・1512円)

 ◇子供を愛する気持ち−−推薦・中村氏

 中村 本書には26篇が収録されています。最初は表題作「たんぽぽの目」から。書かれたのは1941年。村岡花子は1939−45年に『アン』の翻訳をしていますから、重なっています。だからでしょう、『アン』の影響が感じられます。登場人物の百合子は、たんぽぽを見て「元気な人間みたい」と想像を膨らませている。『アン』にもそんな場面がありますよね。実はこれって私がやっている生物学の感覚なんです。たんぽぽも虫も人間と共通するところがあるわけです。そんな自然の本質を巧(うま)く描き出しています。

 花子は、息子の道雄を幼くして亡くしています。「さびしいクリスマス」は、お母さんを亡くした寂しい子供の気持ちを書いています。私も同じ年頃で、道雄と同じ疫痢にかかりました。幸い生き延びたのですが、当時はこういう事がいっぱいあった。当時の書き手も読み手も、今の私たち以上に、心を込めていたのではないでしょうか。

 「みみずの女王」は、鳥のセキレイが太ったミミズを食べてしまう話。こういう結末は少ないですね。生き物の傲慢さとはかなさをユーモアと皮肉を入れて描く。好きです。

 『ゆりかご』にも実際書かれていましたが、全体として、道雄に「おはなしして」とせがまれて作っています。私が読んでいた、構成が優れた浜田広介の童話とは違います。それでも、花子にお話を作る能力や子供を愛する気持ちがあったので、上手にできている。求められたものを語る感じが出ています。読んだのは初めてでしたが、楽しかったです。

 岩間 私も初めて読みました。花子はあくまで翻訳者として知っていて、童話作家という認識はまったくなかった。おそらく、久しぶりに活字になったのでしょう。書籍化は初めてなんでしょうか?

 高畑 いや、当時も本になってます。戦前には、雑多でちょっと教訓を含んだ童話がありました。花子のものを読んだ記憶はないけれど。

 「めぐみの雨が降るまで」。すごいなと思いました。雲が自分を壊しながら雨を降らし、人の役に立とうとする。まさに「絵」が見えます。

 夢が出てくる話もいくつかありますね。「お金持(かねもち)の坊(ぼっ)ちゃん」の三郎がいじめている「動物の相談会」。こういうやり方、戦後の児童文学では排撃されたと思うんですよ。でも、僕はこれでいいじゃないの、と思う。

 ◇今の子に難しいかも−−岩間氏

 岩間 そういう意味では大人の本なのかも。私は今、子供が通う小学校に読み聞かせに行っています。花子が話題だからこの本はいいかな、とも考えましたが、たぶん今の子には難しいですね。誰々さんがかわいそう……、という分かりやすさもないし、ブラックジョークも多い。「みみずの女王」がそう。女王、死んじゃだめですよ。今だと、女王さまがダイエットでもしてみんなと仲良しになんなきゃいけない……。

 高畑 そんなのはむちゃくちゃだよ。現代がおかしい! ミミズを無神経に出すことが大事なのであって。拒否反応があったとしても、後で役に立ちますよ。強制的に読ませる方法はないのかな。

 中村 今はみんな、中身をやさしく変えちゃってますよね。

 高畑 それが気になるなあ。とにかく、この年になっても意外と面白く読めることに驚きました。

 岩間 「三つ子の魂百まで」ですね。私たちの世代だと、この程度の長さの物語は絵本になっていた。だから関わり方が違いましたね。

 中村 「おはなしする」ことから始まったのですよね。

 岩間 朝のドラマでも、関東大震災の後に親とはぐれた子供たちが、花子のところに集まってきて、「おはなしして、おはなしして!」と言うので、花子が真っ暗な中で必死に物語を絞り出すシーンがありました。

 中村 私たちも作っていましたよね。でたらめの話を(笑い)。

 高畑 そう。子育ての時は、そういうことができるんですよ。終わると忘れてしまうけど。

 中村 むしろでたらめの方が、子供は喜んだかも。
    −−「今週の本棚:鼎談書評 「花子とアン」の世界 評者・高畑勲、岩間陽子、中村桂子」、『毎日新聞』2014年08月31日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140831ddm015070032000c.html





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