覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『サイボーグ昆虫、フェロモンを追う』=神崎亮平・著」、『毎日新聞』2014年09月07日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『サイボーグ昆虫、フェロモンを追う』=神崎亮平・著
毎日新聞 2014年09月07日 東京朝刊

 (岩波科学ライブラリー・1296円)

 ◇匂い源に到達した小さな脳の恐るべき働き

 タイトル通り、最終章ではサイボーグ昆虫が活躍するのだが、そこまでの道のりは厳しい。研究過程も大変だし読むのもなかなか面倒だ。しかし、魅力的な研究なのでていねいに読んでいこう。

 昆虫の特徴の一つは小さいことであり、脳も小さい。脳をつくる神経細胞はヒトの一〇〇〇億個に対し、一〇万から一〇〇万個しかない。それなのに異性の呼び寄せ方、敵からの逃げ方など、なかなかの能力を見せる。刺激から反応までの時間がヒトの〇・二秒に対しゴキブリは〇・〇二秒、つかまえられないはずだ。神経細胞が少ないことを生かし、著者はカイコガで脳のモデル研究を始める。

 同じ環境でも生物によって意味が異なる。昆虫の場合、複眼で立体視はできず、視力はよくないが、紫外線や偏光が見える。小さいので摩擦や粘性が大きく、ショウジョウバエにとっては空気はネバネバしている。そこで、計測器を用いて昆虫にとっての信号を人間が分かるものに変え、昆虫の感覚・脳・行動のしくみを明らかにしていくことにした。

 環境の要素として選んだのがフェロモン。カイコガのオスはそれを頼りに数キロメートル離れたメスを探し出す。空中での匂い物質の分布の様子がわからないために、オスによるメスの探し方もわからなかったのだが、一九八一年、匂い物質は一律に広がるのではなく断続的な塊となって浮遊していることが明らかになり、研究が進んだ。オスのガは飛べないので、歩いて匂いの方向へ直進し、それが途切れるとジグザグに歩き、更には回転する。これをくり返して源を探るのである。

 ここまで分かったところで著者は、浮かんだボールの上にカイコガを乗せ、ガの動きによってボールが動くようにし、ガと同じように行動するロボットを作った。するとこれも直進、ジグザグ、回転歩きをした。そこで機械の利点を生かし、ロボットがガとは違う動きをするように操作した。するとガは動きを修正し、8割以上の成功率で匂い源に到達したのである。「昆虫、恐るべし」と著者は言う。脳の指令によって補正をしているのである(インターネットに動画がある)。

 昆虫の場合、頭部・胸部・腹部それぞれに神経節があり独自にはたらいているので胸を切りとっても羽ばたいたり歩いたりする。しかし、胸だけではジグザグ歩きや回転はできない。それには触角でのフェロモン受容と脳の指令が必要なのだ。やはり脳を調べなければならない。ここで著者らはフェロモン受容細胞にチャネルロドプシン2という光に反応するタンパク質の遺伝子を入れ、光をあてるとジグザグ歩きや回転をするガをつくった。これで行動制御が自在になり、「まさにパラダイムシフトをおこせた」と著者は言う。ガの行動制御に関わる前運動中枢のニューロンは86個なので、スーパーコンピュータを用いて神経回路の動きをリアルタイム性をもたせてシミュレーションすることにも成功した。

 ところで、神経回路は環境の中で変化するはずであり、ここを知らなければ実態はわからない。そこで、腹・肢(あし)・翅(はね)を除いたガをロボットに固定し、ここからの指令でロボットが動くようにした。匂い源探索をするサイボーグ昆虫の誕生である。これでいよいよガとロボットの動きが異なる場合に補正をする際の脳の出力信号の変化が追えるようになった。小さな脳がどのようにみごとに働くか、それがどのように行動とつながるか。これからが楽しみだ。
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『サイボーグ昆虫、フェロモンを追う』=神崎亮平・著」、『毎日新聞』2014年09月07日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140907ddm015070019000c.html





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