覚え書:「今週の本棚・本と人:『エヴリシング・フロウズ』 著者・津村記久子さん」、『毎日新聞』2014年09月21日(日)付。
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今週の本棚・本と人:『エヴリシング・フロウズ』 著者・津村記久子さん
毎日新聞 2014年09月21日 東京朝刊
(文藝春秋・1728円)
◇冷徹に普遍的な「生」を描く−−津村記久子(つむら・きくこ)さん
大阪市大正区らしき埋め立て地を舞台に、中学3年のヒロシと同級生たちの1年間を見つめた小説である。思春期真っただ中の揺れる心と成長ぶりが彫琢(ちょうたく)されるが、決して甘くない。中学生はもちろん、大人も身につまされること請け合いだ。
「(大人の私が)中学生を書く苦心はあまりなかった。所持金の額など、外面の『枠』をきっちり書くのが大事です」。学校から帰宅後、塾までのわずかな時間をも睡眠に充てようとするヒロシ。とにかく疲れている。「私がそうやったんですよ。夜7時から10時まで塾なんていう生活、二度としたくない」。塾の宿題に追われ、受験の暗鬱さがたれこめている。小柄で無口でインドア派の食いしん坊、ヒロシは内心「もう無理」と叫んでいるのだが、級友たちのトラブルに巻き込まれていく。
その頂点は、ある女子生徒の深刻な家庭問題に級友たちと共にかかわるシーン。曲折の末、ヒロシは「わからんけど、助ける」というせりふを吐く。一見唐突だが、根拠はじっくり書き込まれていて、飛躍はない。
ちらりと現れるバイプレーヤーたちも甘くない。<祖母は、ヒロシの言葉に何かやましさを察知したのか、どうかな、と不敵に言って引き戸を閉める。こういうところがあるから、わりと祖母は苦手である>。そうなのだ、おばあちゃんは必ずしも孫に優しくはない。もう一人、小学時代にヒロシと同じ塾に通っていた女子のフルノ。私立の女子校生活になじめず、自転車でショッピングセンター巡りを繰り返す切実さにうたれた。
ところで、この年代の男子が苦しむはずの「性」の衝動と抑圧が描かれないのはなぜ? 「私は中学生の実像をあばきたいわけじゃない。ヒロシは私に語らないと思うんですよ、そういう恥ずかしいことを。だから書かない。ヒロシを尊重したかったんです」
多感な中学生たちが泣く場面がほとんどないのにも驚く。「実は泣いていたとしても、やっぱり私には言わないでしょう。そもそも、この人たちには、泣いたからどうなるというカードがないんですよ」。冷徹なルポルタージュのようなタッチゆえ、覚えずヒロシの心中に入り込んでしまう。
老若男女を問わない普遍的な「生」がある。ずっしり重く、いとおしい生が。<文と写真・鶴谷真>
−−「今週の本棚・本と人:『エヴリシング・フロウズ』 著者・津村記久子さん」、『毎日新聞』2014年09月21日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20140921ddm015070057000c.html