覚え書:「効率優先の社会批判、公共経済学説く 宇沢弘文さん死去」、『朝日新聞』2014年09月27日(土)付。

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効率優先の社会批判、公共経済学説く 宇沢弘文さん死去
鯨岡仁
2014年9月27日

(写真キャプション)成田空港反対派の地主たちと2500メートル滑走路予定地を見る宇沢弘文さん。エンジン音を響かせ、ジャンボ機が過ぎていった=1997年、千葉県成田市東峰

 18日に86歳で亡くなった宇沢弘文(うざわひろふみ)さんに最後にお目にかかったのは、2011年2月下旬の記者会見だった。環太平洋経済連携協定(TPP)参加に反対する国会議員の組織の代表世話人として、「開国を合言葉に参加に突き進もうとする政府に怒りを感じる」と力を込めた。真っ白なヒゲに柔和な表情をしながら、眼光は鋭かった。

特集:宇沢弘文さん
 宇沢さんは米国で学んだ経済学者でありながら経済優先の社会を鋭く批判してきた。水俣病をきっかけに環境問題に取り組むようになり、新しい農漁村の姿を探る運動に身を投じた。宇沢さんにとって、TPPは経済効率ばかりを追い求め、地域社会や農業、環境といった「人間らしい生活の土台」を破壊する愚策だった。

 こうした宇沢さんの姿勢は、政府と反対派農民が厳しく対立した成田空港問題への関与に象徴される。

 30年の闘争が続いた成田問題の「社会正義にかなった解決」を目指した「成田空港問題シンポジウム」(1991〜93年)で、宇沢さんは国と反対派の双方に請われ、「隅谷調査団」のメンバーになった。隅谷三喜男東大名誉教授(故人)とともに議論をリードし、「国が強引な空港建設を謝罪する」という結論を導いた。

 宇沢さんは何度も現地に通い、有機農業に取り組む農民の営みを支え、議論を深めた。「(闘争の)風雪に耐えて、農の営みの再生に焦点を当てながら、新しい展開の道を模索しつつある」(「成田」とは何か―戦後日本の悲劇、92年)と農民を励ました。

 宇沢さんの業績は計り知れず、幾度となく日本人初のノーベル経済学賞の候補者に挙がった。

 もっとも有名なのは「2部門経済成長モデル」と呼ばれる理論だ。消費者が購入して利用する消費財だけではなく、工場設備や機械など資本財をあわせ、どのように経済成長するのか分析した。高度経済成長時代に経済政策をつくる分析の枠組みとして注目された。95年にノーベル経済学賞を受賞したルーカス氏の投資論に影響を与えている。

 しかし、宇沢さんはベトナム戦争に深入りする米国への批判から68年に帰国。その後、近代経済学に批判的になっていく。「近代経済学の再検討」(77年)などでは、経済学の枠組みが非現実的な仮定を置いていることや、ベトナム戦争の被害を考慮せずに、効率性のみを追求したことなどを厳しく批判。近年は市場万能主義ではなく、社会資本の分析を中心とする公共経済学の拡充を説いていた。

 宇沢さんはお酒が大好きで、学生との交流を大事にした。特に新宿の「LIBRA(ライブラ、てんびんの意)」という店がお気に入りで、経済学者という枠を超え、映画監督の大島渚さん(故人)や思想家の西部邁さんら文化人とも交流していた。日本人初のノーベル経済学賞と目されている清滝信宏プリンストン大学教授など、宇沢門下生は今も各界で活躍している。

 葬儀は近親者で営まれた。喪主は妻浩子さん。(鯨岡仁)

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■現場に足運び解決策探る

 〈東大で宇沢さんのゼミだった宮川努・学習院大経済学部教授〉

 宇沢さんには学問だけでなく、学者として、どう対処すればよいかを教えていただいた。宇沢さんは1950〜60年代に経済学の基礎を築いただけでなく、水俣病や成田空港問題など市場経済がもたらすひずみの問題では、現地に足を運んでいた。現場の人と話し合いをして問題提起したり、解決策をさぐろうとしたりした姿勢が印象深かった。私が東日本大震災の後、「研究室に閉じこもって論文を書いているだけではダメだ」と思い立ったのも、宇沢さんの影響だと思っている。ご冥福を祈りたい。

■社会への義憤抱いていた

 〈宇沢さんの市民講座を受けて経済学者になった小島寛之帝京大経済学部教授〉

 大学の弟子には厳しかったと聞くが、大学以外では繊細でお優しい方だった。出会った当時、塾の先生で生計を立てていた私には「君は10年くらいしたらいい仕事をするよ」などと、いつも励ましてくれた。出版した著作を送ると、温かい感想をはがきに書いて送ってくれた。市井の人には温かいまなざしを向けておられた。環境問題など社会への義憤を抱かれ、変革したいと行動なさっていた。

■マクロ・ミクロ、多大な貢献

〈宇沢さんのゼミで指導を受けた吉川洋・東大教授〉

 明治以降、輸入学問として日本に入ってきた経済学が戦後、一気にフロンティアにおどり出た。宇沢さんは、その過程で大きな貢献をした代表的なひとりだった。マクロとミクロの両方で貢献は大きく、国際的にも有名な日本を代表する経済学者だった。ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏や、ジョージ・アカロフ氏は宇沢さんの弟子と言ってもかまわない。一緒に研究した同僚にもノーベル経済学賞の受賞者は多い。主流の経済学は、効率性で語られるが、正義や格差、不平等では多くを語れない。宇沢さんはそこを正面からとらえ、正義感から逃げて何のための経済学、社会科学かという問いかけを最後までされていた。
    −−「効率優先の社会批判、公共経済学説く 宇沢弘文さん死去」、『朝日新聞』2014年09月27日(土)付。

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