覚え書:「ニュースの本棚:木田元さんと原爆 三浦雅士さんが選ぶ本」、『朝日新聞』2014年10月05日(日)付。


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木田元さんと原爆 三浦雅士さんが選ぶ本
[掲載]2014年10月05日
 
■「西洋的理性の極限」を目撃
 八月十六日、哲学者の木田元さんが亡くなった。享年八十五。
 木田さんは広島に投下された原爆を目撃している。江田島海軍兵学校一年、十六歳。一九四五年八月六日午前八時、水泳の訓練で海岸にいた。
 「服を脱いで褌(ふんどし)を締め、さあ海に入ろうとしたとき、烈(はげ)しい閃光(せんこう)で眼(め)がくらみ、その直後あたり一面が濃い紫色に染まった。自分の眼がおかしくなったのだと思ったが、かなり遅れて強い爆風が吹きつけた。/経験したことのない衝撃に呆然(ぼうぜん)としていると、近くにいた上級生が『広島の火薬庫が爆発したんだ』と言う。それがもっとも納得のいく説明に思えたが、いずれにせよただごとではない。すぐに服を着て、学校にもどった。/背後では、突然湧きあがった雲の柱が空に突きささるようにまっすぐに立ち昇っていた。記録によれば、五分後にはそれが一万七千メートルに達したという。十一時近くに校舎の窓から見ると、その雲の柱が崩れて、茸(きのこ)状になりはじめていた。」(『ピアノを弾くニーチェ新書館・1944円)

■闇屋をやり凌ぐ
 まるで詩だ。自分もその場にいたような気がしてくる。以下、その日のうちに調査団が派遣され、夕方には特殊爆弾という言葉とその恐ろしい破壊力が伝えられたが、さすがに惨状は伏せられていた、と続く。これが木田さんの原点なのだ。鮮明な光景が根源的な不安となって伝わってくる。
 八月十五日敗戦。木田さんは旧満州育ち。家族が満州から引き揚げてくるのは翌年で、しかも父はシベリアに抑留されてしまった。戦後いかに苦労したか、『私の読書遍歴』にユーモラスに描かれている。『闇屋になりそこねた哲学者』(ちくま文庫・778円)という本もある。闇屋をやって戦後を凌(しの)いだという話は多くの人に話していたが、シベリアから帰国した父がやがて新庄市長になったことや、祖母の実家が芭蕉の「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」の句で有名な堺田の旧家であったことなど、自慢めく話はほとんどしなかった。原爆目撃談さえかなり後年の随筆で触れられるまで、私も知らなかった。最良の「木田元入門」といっていい『わたしの哲学入門』でも、戦後の苦労話は、ドストエフスキーキルケゴールと読み進んでどうしてもハイデガーを読まなければ気が済まなくなり東北大学の哲学科に進むまでの話の前段として、さっと触れられているだけ。ドイツ語、フランス語、ラテン語ギリシア語を次々に習得してゆく話も、同じ状況になれば誰でもできるという調子。これも木田さんの原点だ。哲学を特殊なものとせずに、誰にでもわかる文章で、しかも水準を落とさずに語ること。普通の人間だからこそ人間存在の不安の仕組みを解明したかったのだ。

■西洋哲学も特殊
 木田さんは日本の哲学の文章を変えた。『わたしの哲学入門』の最終章は「〈哲学〉と〈反哲学〉」だが、その「反哲学」はニーチェハイデガーデリダの延長上にありながら、少し違う。西洋哲学では理性は神に分配されたものと考えられているのであって、それは西洋に特殊な考え方だというのだ。とすれば西洋哲学も特殊な、つまり偏った考え方であるということになる。代表作『反哲学入門』では、今後の思想の展開においては日本人の物の考え方のほうが役立つかもしれないと示唆している。この木田哲学の核心に、西洋的理性の極限というべき原爆を目撃した体験が潜むと、私はいま思う。
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みうら・まさし 評論家 46年生まれ。『青春の終焉(しゅうえん)』など。 
    −−「ニュースの本棚:木田元さんと原爆 三浦雅士さんが選ぶ本」、『朝日新聞』2014年10月05日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2014100500001.html











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