覚え書:「曽根中生自伝―人は名のみの罪の深さよ [著]曽根中生」、『朝日新聞』2014年10月12日(日)付。

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曽根中生自伝―人は名のみの罪の深さよ [著]曽根中生
[評者]エンタメ  [掲載]2014年10月12日   [ジャンル]
 
■映画のような人生、多角的に描く

 曽根中生は1937年生まれ。東北大学を卒業後、日活に入社、助監督や脚本家を経て、日活がロマンポルノ路線に転じた71年に『色暦女浮世絵師』で監督デビュー、以来数々の傑作を発表。70年代後半からは日活以外の映画会社でも監督するようになり、『嗚呼(ああ)!!花の応援団』は大ヒット作となった。
 ところが、1990年に映画業界から引退し、そのまま消息を絶つ。失踪とも呼ばれ、さまざまな噂(うわさ)が飛び交った。死亡説さえ流れた。
 ところが、2011年8月26日に湯布院映画祭のゲストとして突然、表舞台に登場し、映画ファンを驚かせた。しかも「失踪」とされていた20数年もの間、大分県臼杵市でヒラメの養殖事業を行ない、その後は同地の会社の役員として燃料製造装置の開発に従事し、環境に配慮した「磁粉体製造装置」で特許まで取得していたのだ。
 本書は、曽根氏本人の筆による、幼少の頃から始まる「自伝」と、監督へのインタビューが、交互に配されている。分量としては後者の方が圧倒的に多い。やや特殊なこの構成には事情があったようだが、結果として曽根氏の数奇と言ってよい人生を多角的に描き出す形になっている。あの鈴木清順の脚本家グループの一員でもあった曽根監督の映画的センスの妙は、一言で述べるなら、虚実入り交じる人間心理の複雑さを踏まえた上での思い切ったケレン味にある。本人の文章=語りで回顧される名作のエピソード群は、どれもこれも無類に面白い。
 三たび、ところが、と記さねばならないのだが、2014年8月26日、奇(く)しくも3年前の「復活」と同じ日に、曽根中生臼杵市の病院で亡くなった。享年76歳。8月17日初版第一刷と奥付にある本書には当然、監督の死の記述は一文字もない。なんという意想外の出来事の連続に満ちた人生だろうか。まるで彼の撮った映画みたいだ。
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 文遊社・4212円/そね・ちゅうせい 37年生まれ。映画監督。日活ロマンポルノの中心的役割を担う。8月に死去。
    −−「曽根中生自伝―人は名のみの罪の深さよ [著]曽根中生」、『朝日新聞』2014年10月12日(日)付。

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