覚え書:「特集ワイド:韓日の信頼回復が『天命』 柳興洙・駐日大使、『第二のふるさと』京都で語る」、『毎日新聞』2014年11月06日(木)付夕刊。

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特集ワイド:韓日の信頼回復が「天命」 柳興洙・駐日大使、「第二のふるさと」京都で語る
毎日新聞 2014年11月06日 東京夕刊

(写真キャプション)京都・四条大橋に立ち、当時の思い出を語る柳興洙大使
(写真キャプション)小学校時代の同級生と再会し、笑顔の柳興洙大使(中央)=京都市東山区

 ◇幼少期過ごし、議員落選時も京大留学/演歌と川端康成『雪国』が好き

 深まりゆく秋の京都を駐日韓国大使の柳興洙(ユフンス)さん(76)と歩いた。年明けには日韓国交正常化から50周年を迎えるが、両国関係は冷え込んだまま。果たして和解の道はあるのか? 幼少のころを過ごしたという第二のふるさとで思いを聞いた。【鈴木琢磨、写真・森園道子】

 「おっ、これ、私だ。孫がそっくりの顔してるよ」。この1日、鴨川べりの老舗焼き肉屋で65年ぶりに小学校時代の同級生たちと再会した柳さん、セピア色した当時の集合写真を手に相好を崩した。韓国南東部、慶尚南道陜川(ハプチョン)生まれだが、父の仕事の関係で幼くして日本に渡り、京都は桂川のそばで暮らした。「桂小学校に通ってね。川で泳いだり、ウナギを取ったり。野球もよくしました」

 たっぷり竹馬の友と旧交を温めた柳さんと四条大橋あたりをぶらつく。「いいね、京都は。天皇陛下に信任状を提出したとき、日本のどこが好きですか、と尋ねられ、京都と答えました。でも大使になってこの街を歩くなんて想像もしませんでした。もう年だから、仕事を離れて、家内と一緒にしばらく住みたいなと考えていたんです。昔のことを思い出しながら……」。しっとりした先斗町(ぽんとちょう)の路地へ入る。「こういう雰囲気、ソウルにはありませんね」

 8月末に着任して以来、日韓関係の厳しさを感じてきた。「大使館にいると、外からスピーカーの大きな声が届く。物売りかなと思ったら、右翼が来ているんです。東京・新大久保のコリアンタウンで商売をしている人からは、売り上げが大幅ダウンしたと聞いた。ヘイトスピーチも東京ではちょっと減ってきたらしいが、大阪ではまだひどいらしいとも承知しています」。穏やかな顔が険しくなった。「ただ希望はあります。9月に日比谷公園であった文化交流イベント『日韓交流おまつり』は去年より盛り上がりましたよ」

 ゆっくり細い路地を進みながら、柳さんの口から行きつけだった喫茶店や酒場の名が飛び出す。「あそこ、まだやってるかなあ」

 酒場まで知っているのにはわけがある。小学校5年生の秋に京都から釜山に一家で戻り、翌年、朝鮮戦争が始まった。

 「避難民が最南端の釜山までどっと逃げてきて。もう1年京都にいたら、おそらく韓国には戻れなかったでしょうね」。社会が大混乱する中、名門・京畿高校からソウル大を卒業。全斗煥(チョンドゥファン)政権下で治安本部長、忠清南道知事を務め、1985年に国会議員に初当選。都合4回当選するが、その間88年に落選した折、1年間、京大で学んだのである。

 「政治学者の勝田吉太郎先生のもとで勉強しました。日本社会、日本人とはどんなものかを知りたかった。それと外の世界から私の国も見たかった」。その成果は? 「日本のお酒の飲み方、はしご酒を覚えました、アハハ。日本人はまじめで、正確。ただ本音と建前がある。心で思っていてもなかなか口に出さない。感情を表さない。韓国人は感情が豊か。酒を飲んでもやかましいでしょ。それに韓国人は何でもパリパリ(早く早く)。ここまで経済が発展するには幸いしたけれど、これからは、遅くても正確に丁寧にやらないといけない」

 鴨川が望める小料理屋ののれんをくぐった。まだ日が高いので飲むのは温かいお茶だけ。流ちょうな日本語のせいもあってか、自民党ベテラン政治家に相通ずる柔らかい物腰と巧みな語り口。あれこれ日本のよさについて聞いてみると、返ってきた。「演歌が好きでね。都はるみの『北の宿から』、大川栄策の『さざんかの宿』、このごろは♪涙には幾つもの想(おも)い出がある……吉幾三の『酒よ』です。小説は川端康成の『雪国』がいい。冒頭も覚えています。村上春樹は韓国で翻訳がたくさん出ている。今度、読んでみようと思っているんです」

 国会議員時代は韓日議員連盟の主要メンバーだった。同い年の森喜朗元首相はじめ日本の政界に知己が多い。「ええ、16年やりました。韓日関係が厳しいから、朴槿恵(パククネ)大統領は、日本に縁があり、政治経験者の私を大使に任命されたと思います。私に重責が務まるか心配でしたが、国が私の役割がある、と呼んでくれたのは光栄です。政界を引退して10年になりますが、これは私の運命、天命であり、きっと神が私を助けてくれるんじゃないか、そう考え、少し楽天的にもなっています」

 とはいえ、玄界灘をはさんだ両国には、いわゆる従軍慰安婦問題など難問が山積している。「簡単でないのはわかっています」。デリケートな懸案に柳さんは言葉を慎重に選ぶ。「信頼の問題なんです」。信頼? 「安倍晋三首相は集団的自衛権の行使を憲法の解釈変更で可能にした。自衛隊の活動範囲が広がるという話でしょ。そこへ歴史認識が変わる姿を見せつけた。第二次世界大戦で被害を受けた国が警戒するのは当たり前です。憲法9条ノーベル平和賞候補になったりもしたでしょ。日本国民だって憂慮している人が多いんじゃないですか」

 ぐいっと緑茶をすすり、きっぱり言うのだった。「韓日国交正常化50周年をよりよい年にするには交流を拡大しなくてはいけません」。そして続けた。「その象徴が首脳会談です。先日、ソウルで韓日・日韓議員連盟の合同総会が開かれるなど政治も動きだした。両国の政治家は大局的見地からさらに知恵を出してもらいたい。政治で解決しなければダメです」。総会で採択された共同声明の一節にこうある。

 <……双方の議員連盟が正しい歴史認識のもとで、当事者たちの名誉回復と心の痛みを癒やす措置が取られるよう共に努力することにした>

 「韓国に、会うほどに情が生まれるという言葉があります。朴大統領には、たくさんの日本の政治家と会談を重ねてほしいんです」。なるほど青瓦台(大統領府)で森元首相額賀福志郎日韓議連会長らと会っている。確かに一歩前進の印象はある。

 日本通の柳さんに読んでほしい文章があった。「文芸春秋」(89年8月号)に載った司馬遼太郎さんと盧泰愚(ノテウ)大統領(当時)の対談「我々はこんなに異なり こんなに近づいた」。韓国人の儒教思想にもとづく「黒白論理」、ものごとを黒と白に分けて妥協を知らない態度についての考察である。柳さんは「読んでみます」と笑った。

 夜の京都は雨になった。雨降って地固まる−−、知日派大使の尽力で、隣国同士もまたそうなればいいのだが。 
    −−「特集ワイド:韓日の信頼回復が『天命』 柳興洙・駐日大使、『第二のふるさと』京都で語る」、『毎日新聞』2014年11月06日(木)付夕刊。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141106dde012040004000c.html





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