覚え書:「特集ワイド:道徳的でない『道徳教科化』 小中学校で検定教科書、成績評価導入」、『毎日新聞』2014年11月12日(水)付夕刊。


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特集ワイド:道徳的でない「道徳教科化」 小中学校で検定教科書、成績評価導入
毎日新聞 2014年11月12日 東京夕刊


(写真キャプション)教育再生実行会議であいさつする安倍晋三首相(左から3人目)と(左から)下村博文文科相、鎌田薫座長ら=首相官邸で2014年7月3日午後2時5分、藤井太郎撮影

 小中学校の道徳が「教科外活動」から「特別の教科」に格上げされることが決まった。「道徳」や「愛国心」はこの十数年、教育を巡る議論の場でたびたびテーマとなってきたが、今回の道徳教科化決定劇には「これって道徳的なの?」と首をかしげたくなる点がある。【小林祥晃

 ◇元中教審会長「必要ない」/私的会議で政治介入/いじめ対策が大義名分

 「ええ、今でも反対です。教科書で教えられることではないでしょう?」。劇作家・評論家の山崎正和さんはきっぱり言うと、記者を見据えて問いかけた。「この間、米国の女性が不治の病で安楽死を選んだニュースがありましたね。あの行為は正しいですか、正しくないですか」。答えに詰まっていると「では、東日本大震災の被災地で、家族を助けることを優先して目の前の他人を救えなかった人と、目の前の他人を助けて家族を救えなかった人。いずれも今、罪の意識に苦しんでいる。どちらが正しいか、答えられますか。私たちはこんな答えのない問題に囲まれて生きている。一体どんな教科書を作るのでしょうか。教えてほしいくらいだ。要は、道徳は『教科』になじまないのです」。

 文部科学相の諮問機関、中央教育審議会中教審)が先月、答申した2018年度からの「道徳の教科化」。週に1コマ、担任教師が教えるのはこれまでと一緒だが、検定教科書が使用され、成績評価もされる。要は“模範解答”があるということだ。一般教科のように数値ではなく「記述式の評価」のため「特別の教科」とされる。

 実は、第1次安倍晋三政権も道徳教科化を目指し、中教審で議論させたが、安倍首相は結論を待たずに退陣。教科化は反対や慎重意見が多く、見送られた経緯がある。当時の会長が山崎さん。こう振り返る。「私だって、子どもたちに公の場でのルールやマナーを教えることは大事だと思いました。でもそれは『しつけ』です。委員も教科化の必要はないとの議論でまとまりました。伊吹文明文科相(当時)も理解してくれましたよ」

 ところが、第2次安倍政権は発足後、かつて結論が出ていたはずの道徳の教科化を中教審に諮問し、とうとう7年越しの「悲願」を実現させた。中教審の委員の任期は2年。30人の委員のうち安倍政権発足後に任命されたのは14人で、その中には、首相と考えが近いとされる保守派の論客、桜井よしこ氏もいる。

 「こういうやり方をしていると、教育の専門性や独立性は守れません」。そう嘆くのは早稲田大教授の喜多明人さん(教育法学)だ。

 「こういうやり方」とは何か。中教審国家行政組織法に基づき、教育の中立性を担保するための組織として設置されている。「教育には専門性があり、継続性も大切にしなければなりません。しかし、その時その時の政治や行政が教育のあり方に口を出せば、それらが損なわれる。そのための審議会制度で、政治や行政は教育への介入を極力避けてきた。それが戦後の教育制度の伝統でした」

 ところが安倍政権は発足翌月の13年1月、首相の諮問機関「教育再生実行会議」を設置、道徳教科化に賛成派とされる委員を中心メンバーに据えた。会議はその翌月には教科化を提言。これを受け、文科省内には「道徳教育の充実に関する懇談会」が設置され、提言を具体化する議論が始まった。同年末には成績評価方法や教科書のあり方などの青写真をまとめた報告書ができ上がった。今年2月、中教審に「道徳の教科化」が諮問されたが、「結論ありき」は明らかだった。

 喜多さんは「以前も同じ手法が使われた」と指摘する。「愛国心条項」を盛り込んで議論となった教育基本法改正だ。同法改正は、00年に森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が提言したのが始まり。改正派委員は少なかったが、森首相らが会議に何度も出席して改正論を訴え、形勢が逆転。同会議の提言を受け、03年に中教審も改正を答申。第1次安倍内閣で06年、改正法が成立した。

 法令に基づいて設置された中教審と違い、教育改革国民会議も、教育再生実行会議も閣議決定に基づいて設置された私的機関だ。喜多さんは「こういう手法は、特定の政治家による教育介入です。提言した制度や法の中身以前の問題。民主主義の原則をゆがめる、強引なやり方です」。

 安倍首相は施政方針演説などで「道徳教育の充実をはじめとするいじめ対策を実行する」などと述べ、道徳教科化は、深刻化するいじめ対策の一環だと強調した。この点への批判も根強い。中央大教授の池田賢市さん(教育学)は「子供たちは皆、いじめが悪いなんて分かっている。規範意識が緩んでいるからいじめが起きているのではなく、社会や大人のありようなど子供を取り巻く環境に一因がある。そこに目を向けず、いじめ対策を大義名分にすることが道徳的でない」と話す。

 池田さんは「価値の多様性を前提とする時代には、子供たちが自ら考え、対立する意見を調整して新たなルールを作り出すことを学ぶ道徳教育が必要だ」と考えている。しかし「どんな形にせよ、評価がされることで、建前と本音の使い分けが助長される。道徳がますます表面的なものになってしまう」と懸念する。

 もう一つ、識者らが心配するのが愛国心教育だ。もともと自民党が熱心だった一連の教育改革は、ずっと愛国心が重視されてきた。山崎さんは「愛国心だけを教えるのは不道徳です。愛国心を教えるなら人類愛も一緒に教えなければならない。ヘイトスピーチや外国人に対する差別や攻撃はいけないとはっきり一緒に教えるべきだ」と力を込める。

 それにしても道徳とは何か。東京・谷中の寺、全生庵平井正修住職を訪ねた。安倍首相をはじめ中曽根康弘元首相ら政界や財界の重鎮が座禅に訪れることで知られる。

 平井住職は「本来、心を静かに落ち着ければ、おのずと何が良くて何が悪いことか、誰しも分かるはず」としたうえで「いくら、いじめをなくすにはどうするか議論しても、実際に職員室や会社や政治の世界でいじめがあれば、子供の世界でもやはりなくならないでしょう。大人たちはそこまで考えていますか」と静かに問いかける。

 果たして道徳の教科化は、「道徳的に」正しく進められたといえるだろうか。
    −−「特集ワイド:道徳的でない『道徳教科化』 小中学校で検定教科書、成績評価導入」、『毎日新聞』2014年11月12日(水)付夕刊。

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