覚え書:「特集ワイド:解散に寄せて 作家・高村薫さん 投票は有権者の『意地』」、『毎日新聞』2014年11月21日(金)付夕刊。

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特集ワイド:解散に寄せて 作家・高村薫さん 投票は有権者の「意地」
毎日新聞 2014年11月21日 東京夕刊

高村薫さん=大阪府吹田市で、宮武祐希撮影

集団的自衛権の行使容認に反対し首相官邸前でデモをする人々。安倍政権の2年で「国のかたち」は大きく変わった=東京都千代田区で7月、矢頭智剛撮影

 安倍晋三首相が総選挙に打って出た。永田町では「大義なき解散」と突き放した見方が強いが、有権者が態度決定を迫られる事実に変わりはない。政権交代後の2年間は何だったのか。1票の持ち主が問われているものは何か。重厚な小説と硬派な時評で知られる直木賞作家、高村薫さん(61)に会いに行った。【浦松丈二】

 ◇選挙は経済失政隠すための手段 昭和初期まで歴史を巻き戻されないか
 「本当に冗談みたいな解散ですよね。私たち有権者に理解できるような理由が一つも見あたらない」

 インタビューの冒頭、高村さんは「冗談みたい」を繰り返した。20歳になった1973年以降、選挙は欠かさず投票してきた作家にとっても、今回の解散・総選挙は未体験に属することだったようだ。「今後、アベノミクスの失敗で経済指標は悪くなる。このまま解散を引き延ばせば来年4月の統一地方選で大負けするから、その前に……と安倍さんは思ったのでしょう。要するに経済失政を覆い隠すための手段に過ぎないということです」

 大阪府内の自宅を訪ねた日、大理石の床に冬の木漏れ日が差し込んでいた。

 「2年前、私たちは安倍政権に何を求めたのでしょうか……」。木製の大きなテーブルの向こうから、静かに問いかけてきた。

 思い起こせば、米国発の景気低迷が当時の日本を暗く覆っていた。有権者の多くはアベノミクスに期待した。だが高村さんの評価は厳しい。

 「大規模な金融緩和で無理やり円安に誘導しても、大企業の製造拠点は海外に移ってしまっており、輸出は期待ほど伸びなかった。円安で輸入物価は上昇し、生活が苦しくなっただけ。この2年間でアベノミクスが失政だったことがはっきりしました」。その言葉を裏付けるように、17日に内閣府から公表された7−9月期の国内総生産(GDP)の速報値は市場予測を大幅に下回り、4−6月期に続く2四半期連続のマイナス成長となった。多くのメディアが「日本経済は景気後退局面に入った可能性がある」と解説している。

 安倍政権は、円安になれば輸出主体の大企業の業績が好転し、下請けや孫請け企業に波及するとも主張した。液体が滴り落ちるさまを表す英語から「トリクルダウン効果」と呼ばれる。「高度経済成長期ならともかく、大企業でさえ生き残りに必死で、合従連衡が日常化し経済構造が複雑化した今、富が上から下へ確実に流れると誰が言えるのでしょうか」。高村さんは一蹴するのだ。

 少子高齢化が進む地方の景気低迷は、より深刻だ。安倍政権・自民党は「地方創生」を叫び始めたが、高村さんには本気が感じられない。「地方を元気にするには、地場の中小企業が生産性を上げ、自分たちで雇用を生み出していくしかない。構造改革は待ったなしの状況なのに、アベノミクスでは相変わらずばらまき型の公共投資をして国への依存を助長し、地方の活性化を妨げている。さらに休業手当や賃金の一部を助成する雇用調整助成金にしても、非効率な企業を延命させ、経済の新陳代謝を遅らせるだけ。それよりも会社をたたみやすくしたり、新たな産業を呼び込む制度を整えたりするのが先でしょう」

 高村さんが強く疑問視するものが、もう一つある。

 安倍政権は7月に閣議決定憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認へとかじを切った。「戦後の歴代政権の内閣法制局が積み上げてきた憲法解釈を、いとも簡単に変更した。しかも、それをしたのは同じ自民党中心の安倍政権。いったい何の権利があって、と憤りを覚えます」。口調が一段と厳しさを増した。「戦後69年、日本人が守り続けた『戦場で人を殺さず、殺されもしない』という歴史に終止符が打たれる。安倍さんの言う『積極的平和主義』で平和が維持できると考えるなんて、それこそ妄想以外の何ものでもありません」

 高村さんは安倍政権の問題点を次々と挙げた。2年前の消費増税を巡る3党合意と議員定数是正の公約が置き去りになっていること。靖国神社参拝で中国や韓国などとの関係をこじらせたこと。「戦後レジームからの脱却」を掲げながら、米国の意向に沿って米軍普天間飛行場辺野古移転を進めたこと……。

 安倍首相は、今回の解散・総選挙を一つのお墨付きとすることで、さらなる長期政権を目指しているといわれる。その先には何があるのだろう。

 「私には安倍さんが、軍部の台頭を許し戦争への道を歩み始めた昭和初期まで歴史を巻き戻そうとしているように見えます。安倍政権が長期化したら、私たちはどこまで連れて行かれるのか。来年は戦後70年です。この節目の年を安倍首相のもとで迎えることの意味を、私たちはもっと深刻に考えるべきではないでしょうか」

 9月の内閣改造後は閣僚のスキャンダルが相次いだ。自民党衆院議員を主人公にした小説「新リア王」を書いた高村さんの目に、今の自民党はどう映る?

 「小説の舞台にしたのは1980年代です。当時の国会議事録を丹念に読みました。その頃も汚職などの不祥事はありましたが、国会では中身のある議論をしていた。与野党ともに、まともな政治家がいたのです。2000年代以降の政治家たちは軽すぎて小説にならない。うちわやSMバーが、議事録にも残る国会で議論されるなんて、恥ずかしい限りです」

 自らの「足もと」をきちんと見られない政治家や経営者が増えているのが、何より気になるという。「武力行使容認」に舞い上がる人々しかり、原発の再稼働を急ぐ電力会社しかり……。「経済効率からも、巨額の賠償リスクがある原発を抱えたまま会社を経営していけるわけがない。これもまた妄想ですね」

 消費増税の1年半延期と21日解散を表明した18日夜の安倍首相の記者会見。「重い重い決断をする以上、速やかに国民に信を問うべきである」という熱弁も、その耳には空疎に響いた。「今のうちに、という本音が透けて見えるから、言葉の一つ一つに重みが感じられない。安倍さんの、安倍さんによる、安倍さんのための解散・総選挙であることを裏付けたと言っていい」

 政治家の言葉の軽さ−−。偽りのない「語り」によって人間の存在の意味を問い続けてきた高村さんには、それが耐えられない。

 「消費増税についても、法律から景気条項を外すから次は必ずやると言いますが、その時にも安倍さんが首相を務めているという保証はない。政治家は、そこまで考えて一つ一つの決断をすべきだし、有権者は彼らの言葉が信じるに足るかをしっかり吟味しなければなりません」

 そして「驚いた」のは、安倍首相自身が総選挙の勝敗ラインについて「自民、公明の連立与党で過半数を維持」と設定したことだった。

 自民党現有議席は294議席過半数を53議席も上回り、公明党の31議席もある。しかも、与党がすべての常任委員会で委員長を出し、委員数も野党を下回らない「安定多数」でなければ不安定な政権運営を迫られるというのが常識だ。

 「選挙には勝つものとたかをくくっている。だから不用意な言葉が出るとしか理解のしようがない」。ここにも緊張感の欠如を見るのだ。

 昨年暮れ、特定秘密保護法が成立した直後にした本紙のインタビューで、高村さんは次のように言っていた。

 <私たち自身の政治感覚の鈍麻が、政権の暴走を許してしまう。そうさせないためには主権者として、そして有権者として、政権に一定の歯止めをかける理性を持つことだと思う>

 政治を注視し、理性で判断する。「完全無党派」の高村さんがたどりついた一つの結論なのかもしれない。

 では、私たちはどう1票を行使すればいいのか。

 「確かに受け皿になる野党はないかもしれない。700億円もの経費を使うのに、今やる必要のない、意味の薄い選挙かもしれない。それでも投票所には行くべきです。そして、考え抜いた1票を投じてほしい。白票だっていいんです。これは、有権者の『意地』の問題なのです」

 事実や論理を一分のすきもなく積み上げ、精緻かつ壮大なフィクションを構築してきた作家が「意地」や「白票」を口にする。それほどにこの国の未来を憂えているのだ。

 有権者はどんな「答え」を永田町に突きつけるだろうか。

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 ■人物略歴

 ◇たかむら・かおる
 1953年、大阪府生まれ。90年に「黄金を抱いて翔べ」で日本推理サスペンス大賞を受賞しデビュー。著書に「レディ・ジョーカー」「太陽を曳く馬」「冷血」。直木賞選考委員。全国の地方紙などに「21世紀の空海」を連載中。
    −−「特集ワイド:解散に寄せて 作家・高村薫さん 投票は有権者の『意地』」、『毎日新聞』2014年11月21日(金)付夕刊。

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http://senkyo.mainichi.jp/news/20141121dde012010002000c.html


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