覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『逢沢りく 上・下』=ほしよりこ・著」、『毎日新聞』2014年11月23日(日)付。
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今週の本棚:池内紀・評 『逢沢りく 上・下』=ほしよりこ・著
毎日新聞 2014年11月23日 東京朝刊
◆池内紀(おさむ)評
(文藝春秋・各1080円)
◇親しみ手前でヒラリ反転、宙吊りに
逢沢(あいさわ)りく、十四歳。小・中・高一貫校の中学三年。めぐまれた家庭だ。若くてハンサムなパパは会社経営者。キャリアを中断して家庭に入ったママは、野菜一つにもこだわりがある。いずれ資格をとってキャリアをつづけるつもり。パパは会社のアルバイトの女の子と浮気をしている。若くて聡明なママが気づかないはずはないが、おくびにも出さない。
「繊細で傷付きやすい逢沢りくは時々学校を早退する」
セリフ劇にナレーションが入った感じ。パパの誕生祝いに恋人が小鳥を押しつけたことから、物語が動き出す。
「かわいいってどういう事なの? 悲しみって何?」
りくは「蛇口をちょっとひねる」ように涙をこぼすことができるのに、悲しみがどういうものなのか、ちっともわからない−−。
上・下二冊、四百五十ページを超える長篇コミックが、一人の少女を追っていく。嗅覚や味覚、それに全身の皮膚感覚が異様なほど敏感で、人間アレルギーのようなもののただなかにいる。子どもでも大人でもない成長期の過程にあって、いわば本能的知覚過敏症を病んでいる。知覚が過敏になる一方で奇妙に現実感が薄れて、日常の中なのにどこか遠い別の世界にいるかのようだ。そんな主人公に転機が訪れる。
「しばらく関西の大おばさんの家で暮らしてほしいの。あなただけで」
その直後の一コマ。りくは自分の部屋の隅にすわりこんで、腕組みしている。運命と向き合うような真剣な顔。「ママって ママって本当にすごく手間がかかる」
ここまででも十分におもしろいのだが、舞台が大阪に移り、関西弁の世界になってからが、がぜん何倍もたのしくなる。初対面の家族紹介からして、こんなぐあいだ。「これがうちのブサイクな次男の司、むさいやろ−?」「おい、ブサイク言うなや− 元ネタからしたら上出来やろ−」「親をネタていうな、アホ」
めぐまれた、孤独な家庭で宙吊(づ)り状態だった少女が、三世代の家族の中で暮らし始める。食事中もテレビがまじりこんでにぎやかである。「あ、そうやサスペンスやるやん今日」「ごはん終わってからにせんかいな」「終わってしまいますやん− 犯人あてられへんやん−」「なんか向井良子て太ったことあらへん? 髪型やろか?」「いや、さすがにええ帯しめてはるわ」……。
たくましい現実感と言葉のポップアート。誕生日を迎えて十五歳の少女には、外界が皮膚にしみてビリビリする。それがどういうことなのか、自分にはわからない。なついた幼い男の子の発作にも、りくはチグハグなことしか言えない。そのチグハグさこそ、りくそのものなのだ。関西弁の演じる生活劇のなかに、なじまないことを一心に念じている一つの幼い生理が浮きぼりになる。少女に特有の潔癖さ、独善ぶり、ひとりよがり。なんと達者な語り手だろう。エンピツの絵柄とセリフが、ピンと張った一本の糸のようにつづいていく。良質の笑いのお相伴つき。
とどのつまり、りくは気がついた。泣いていいとこだのに、なぜか涙が出てこない。あきらかにちょっぴり変化した。どこにもそんなことは述べてないが、ちゃんとわかる。この生きものは近づきすぎると薄いフィルムのようにヒラリと反転して、逆の方角に走り出すのだ。読者もまた親しみの手前で宙吊りにされる。そんな少女存在があざやかにとらえてある。
ーー「今週の本棚:池内紀・評 『逢沢りく 上・下』=ほしよりこ・著」、『毎日新聞』2014年11月23日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20141123ddm015070011000c.html