覚え書:「今週の本棚:鼎談書評 日本の古典文学 評者・酒井順子、持田叙子、小島ゆかり」、『毎日新聞』2014年11月30日(日)付。

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今週の本棚:鼎談書評 日本の古典文学 評者・酒井順子、持田叙子、小島ゆかり
毎日新聞 2014年11月30日 東京朝刊

 ◇評者・酒井順子(エッセイスト) 持田叙子(のぶこ)(日本近代文学研究者) 小島ゆかり歌人

 ◆『古事記 日本文学全集01』 池澤夏樹・訳(河出書房新社・2160円)

 ◇ポップに昔と今つなぐ 推薦・持田氏

 持田 『源氏物語』は、円地文子さんや瀬戸内寂聴さんら女性の恋愛文学の名手が訳す伝統がありますが、『古事記』は学者が多く訳してきました。作家の独創的な『古事記』訳が出たのは注目されます。冒頭の「この翻訳の方針」で、訳者が太安万侶(おほのやすまろ)に宛てた手紙の形で宣言文を書いているのが画期的です。『古事記』という最古の物語を世界文学として訳すのはグローバルな21世紀にふさわしい。古典は英語やフランス語よりも遠い「外国語」との認識が前提になっています。たしかに古典の口語訳は今こそ必要な気がします。

 まずリズムがいい。ポエティックで、速い船に乗っているような心地よいリズムです。たとえば「珠飾りが二連、/浪振るひれ、/浪切るひれ、/風振るひれ、/風切るひれ、また/奥津鏡(おきつかがみ)、/辺津鏡(へつかがみ)、」という古代人の呪文の部分など、現代人には新しい「詩」として受け取れます。

 神の名前が1名1行。この表記の工夫もすばらしい。これまで『古事記』を読むのに何度も挫折したのは、神と大君の名前が羅列され、長々と続いたから。1行書きならわかりやすく、名前がパッと目に入り、鮮やかにイメージ化できる効果があります。小説と詩と帝の系譜の三つがからみあう構造も、改めて呑(の)みこめました。通しで読めた『古事記』は初めてかもしれません。

 今回の河出書房新社の日本文学全集で、第一線で活躍する作家が古典を訳す試みは意義深いものです。古典は、明治時代には幸田露伴尾崎紅葉ら作家が、創作に取り入れて現在や未来につないできました。いきいきと面白く古典の血を読者に注ぐのは作家の仕事なのに、それが最近あまり意識されていません。この『古事記』が、ポップな読みやすさで昔と今をつなぎ、古典を意識する風潮を醸し出し、作家の古典への関心を喚起する「21世紀ルネサンス」の始まりになればいいと思います。

 ◇物語としての面白さ 酒井氏

 酒井 私も『古事記』を最後まで読み通せたのは初めてです。読むスピードが普通の古典より速いのがうれしくて、どんどん読み進めました。脚注を読む作業も楽しかったです。神の名前の解説もよく分かるし、中には「大した意味はない」ともあり、それもまた一つの物語となっていくのが面白かったです。神の話から天皇の物語に変わっていく転調の具合がよく分かり、読む側も心構えを変えることができます。『古事記』が天皇家の系譜を伝えるとともに、物語としての面白さを求めた部分もあると初めて知りました。『古事記』を「古典」でくくってしまうと、勉強みたいになって古いものが好きな人しか入れなくなりますが、作家が訳すことで文学が地続きでつながっていることが伝えられます。

 小島 私のような歌を詠む人間は、古いものが好きなグループです。「歌は源をたどれば『古事記』に直結する」と言われますが、読もうとしても名前が長いのが大きなネックでした。救ってくれたのは三浦佑之さんの『口語訳古事記』です。今回の『古事記』はさらに現代的で、センテンスが非常に短くテンポ良く進みます。

 『古事記』にはオノマトペ(擬態語・擬音語)がある。天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)をかき回す時の「こおろこおろ」は、恐らく日本文芸のオノマトペのルーツです。和歌の初めと思われるのは「八雲(やくも)立つ/出雲(いづも)八重垣(やへがき)/妻籠(つまご)みに……」という歌。現代文学・文芸の出発点があります。

 国産みの「成り成りて成り合はざるところ」「成り成りて成り余れるところ」と、女と男の体の違いを言い合うところで、「むくむくと生まれ」と訳したのは面白いです。「ともかく古代には自然の力が溢(あふ)れて、すべてのモノがむくむくと生まれた。古代人には豊饒(ほうじょう)への信頼があった」という脚注は納得できます。「むくむくと」の方がずっと健やかでエロチックです。原文に含まれる情感や心身の感覚をいったん自分の中に入れて、違う言葉に表現したのが「むくむくと」に顕著に表れていて、読んだ時うれしくなりました。

 ◆『古典を読んでみましょう』 橋本治・著(ちくまプリマー新書・929円)

 ◇日本語の変遷を解明 推薦・酒井氏

 酒井 私が最初に触れた古典は、橋本治さんの『桃尻語訳枕草子』です。面白いな、と言っているうちに大人になり、30歳を過ぎてから『枕草子』を原文で読んでみたいと思い、読むようになりました。古典を専攻したことはなく、私自身、古典の素人という感覚をずっと持っています。若い人向けの新書で、橋本さんがどんなふうに古典を勧めるのか、興味があってこの本を選びました。

 古典といって私が思い浮かべるのは平安文学なのですが、この本は、樋口一葉という比較的新しい時代から始まり、時代がごちゃまぜに書かれています。まずそこが面白い。読み進めると、それぞれがどうつながり、日本語がどういう変遷をたどっているのか、橋本さん流に解き明かしています。『浦島太郎』など、誰もが知る物語を採用しているのも、若い人が興味を持てるのではと思いました。生徒たちに平たく解説しようとする気持ちが満ちあふれています。でも、先生のアタマが良すぎて、そうでない人には分かりにくいかも、という部分もありましたが。

 小島 そのとおり。日本語論でもあります。漢文脈から和文脈へ、そして和漢混淆(こんこう)文脈へと移った時代背景を、具体的な作品と共にあっちに行ったりこっちに行ったりしながら教えてくれることに魅力があります。

 酒井さんが指摘した「平たい」面白さについて、私は二つ注目しました。一つが『徒然草』について「分かりやすい文章」と「よく分かる文章」は違う、と指摘した箇所。漢文、和文がうまくミックスされて読みやすくなっているけれど、内容が分かるわけではない。なのにどうして教材に使われるのか、という疑問。無常観なんて、高校生には困りますよね。もう一つが、『愚管抄(ぐかんしょう)』について書かれたくだり。みんなが勉強しなくなったから日本語が変わったと。漢文ができなくなったからこそ、和文の文脈が生きて現在につながったのだ、と。面白い見方だと思いました。

 持田 私も、『桃尻娘』は青春の鮮烈な衝撃です。最初はその赤裸々な乙女ことばに驚きましたが、次第にはまりました。こんなに軽やかに書いていいんだと教えられた、革命的文体です。『徒然草』の無常についてのご指摘、私が高校の国語教師をしていた時を思い出しました。高校生に「無常」は分からないんです。私も若かったから実は分からない。この無理、本書が鋭く突いてくださいました。

 「遠近法」の駆使もすごいと感じました。「近」は一葉から始まる、私たちに近いところから始めて意表を突く始まりです。それに、吉原遊郭の周りの「お歯黒溝(はぐろどぶ)」を、今なら「マスカラ溝」になるかも、とたとえたり、「出(い)だし袿(うちぎ)」という着こなし方は今のシャツアウトだといったり、今の若い人たちの見方にうまく合わせる部分があります。かと思えば、今のものの見方と違うものを読む大切さが古典にはある、と「遠」にも触れている。身の丈に合わせて入りやすくすると同時に「全然違う考え方や感じ方も知ってみたら」と両方を視野に入れる複雑さが、さすが橋本古典と思いました。

 ◇空気を示唆する言葉 小島氏

 小島 言葉は、そのものの意味だけではなく、空気を示唆するものでもありますから古典は難しい。たとえば吉原の大門(おおもん)なんて、私たちには想像しようもない。ネオン街の入り口とは全然違うんだろうな、と思ったりして。

 持田 知識としては分かっていますが……。若い人には「そもそも吉原って何?」かもしれませんね。

 酒井 一葉の作品が古典かどうか線引きされていますが、その線があと20、30年たてばこちら側に動いてくるのかなという興味もあります。

 ◆『謹訳 源氏物語 一、二』 林望・著(祥伝社・1543円、1836円)

 ◇注釈を入れ込む技量 推薦・小島氏

 小島 全10巻のうち、この両巻は恋愛のダイナミズムが面白いところです。パッと見て気づくのは、注がないこと。古典文学全集ならページの上か下に注が入りますよね。注釈が、そうと思われない自然さで本文の中に入れ込まれているのです。

 例えば、冒頭の「桐壺(きりつぼ)」の帖(じょう)では「女御ならば皇族または大臣家の姫、更衣ならば大納言以下の貴族の娘と決まったものゆえ……」と、位の説明がなされます。これは、すごい技術です。

 六条(ろくじょうの)御息所(みやすんどころ)と源氏の別れを描いた「賢木(さかき)」の帖の名文、野宮(ののみや)の別れでは、2人に最後の男女関係があったのかどうかが議論を集めてきました。ミーハー的な興味ですが。リンボウ先生の訳は「やはり逢(あ)えばこんなことだった」。さすがです。あったと思えばある、なかったと思えばないのだ、と。読者を強く刺激するのです。

 一方、「空蝉(うつせみ)」の帖には、おなかが痛いから後にしてほしい、というわけで古女房が厠(かわや)へ走っていくくだりがあります。とてもユーモラスなので、原文はいったいどう書いてあるのだろうか、と導いてくれる力があります。

 もっとも、リンボウ先生に直接うかがったところでは「本来の『源氏物語』には注なんてない。原文の息遣いに忠実に書きたかった」とのこと。文章力や読解力はもちろん、お香や衣装などあらゆることを粘り強く研究されたそうです。そうやって、原文を最大限生かしながら現代文学として生き返らせてくれたのです。

 本自体も、装丁に源氏香の図をあしらったり、和とじ本のようにパタンときれいに開く製本を施したり、徹底したこだわりがあります。

 酒井 注をどこに交ぜたのかの継ぎ目が見えないから本当に読みやすかったです。また、こんなにポップに訳してもいいんだと、現代語訳の自由さが感じられました。和歌の取り扱いに興味があったのですが、原文に続いて訳が掲載されており、これは両方必要だと思いました。

 ◇光り輝く王のエロス 持田氏

 持田 私は谷崎潤一郎以来久しぶりに、男性訳を読みました。「謹訳」とつつましげなのに、谷崎訳よりはるかに官能的。これには恐れ入りました。これぞ男性訳の醍醐味(だいごみ)。学識ゆたかに才能溢(あふ)れ、ゆえに色ごのみの光源氏の姿がいつしか林先生と重なって……。優美な心やさしい貴公子としての源氏像にあえて逆流し、欲望をそのまま押し切って思いを遂げるという、古代の王としての強さを押し出す。それが、特に「若紫」の帖あたりで戦略的に表現されているのが印象的でした。漢語の使い方も美しく粋です。

 小島 これまでは、源氏をみやびな愛の貴公子とするイメージが喜ばれ、映画にもなってきました。原文を読むと、紫式部はすごいストーリーテラーであって、王としての源氏の傲慢さや老いていく醜さがしっかり描かれています。源氏の深い陰りや多面性が浮き彫りになり、「あはれ」を極め、それを突き抜けた時に一人の弱い人間が浮かびあがってくるのが『源氏物語』でしょう。そうでなければ、こんな長きにわたって生き残れなかったと思います。

 原文が難しいのは、主語がはっきりしないところです。「誰の言動なの、これは?」となっちゃう。実は敬語にランクがあって、その使い分けで主語は読み取れるようになっています。形容語でいえば、「清ら」は最上級で、源氏や藤壺、紫の上くらいにしか使われない。とはいえ複雑です。本書ではよく整理されており、ニュアンスをしっかりつかめるのがとてもありがたいです。

 酒井 現代語訳ということは、訳者が現代をどう捉えているのかがよく表れます。地の文は文語なので、あまり時代性は出ませんが、口語になると訳者にとっての現代が出てくると思いました。

 小島 リンボウ先生声楽家でもあるので、この文体は朗読を意識されているのだと思いますよ。女房たちの一人が読み、みんなが聴いているというイメージでしょうか。
    −−「今週の本棚:鼎談書評 日本の古典文学 評者・酒井順子、持田叙子、小島ゆかり」、『毎日新聞』2014年11月30日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141130ddm015070016000c.html






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