覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録』=カスパー・ヘンダーソン著」、『毎日新聞』2014年11月30日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録』=カスパー・ヘンダーソン
毎日新聞 2014年11月30日 東京朝刊

 (エクスナレッジ・2376円)

 ◇歴史、芸術にまで及ぶ「動物寓意譚」

 ピクニックの途中、小川のそばの草むらでの休憩時に何か読みたくなった著者が鞄(かばん)の中をゴソゴソ探したところ、出てきたのが『幻獣(げんじゅう)辞典』だった。一九六七年にアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが著した動物寓意譚(ぐういたん)であり、登場するのは神話や伝説の中の生き物とボルヘスの想像の産物である。読むうちに少しうとうとしながら、現実の動物にこれより奇妙なものがいるのではないかと思えてきた。近年の進化研究の成果は、神話や伝説以上に豊かで実りある視点を提供していると思ったのである。

 そこで始めた「ささやかな探究の断片を集めた、二一世紀の動物寓意譚」が本書である。登場する動物はアホロートルオニヒトデなど十七種。ケツァルコアトルスやイエティクラブのようになじみがないものはどう奇妙なのか知りたいし、ニホンザルなどなぜ選ばれたのか気になる。人間の奇妙さは日常の政治などで身に沁(し)みているとはいえ、アホロートルと並べたらどうなるかこれまた知りたいところだ。「寓意譚」とあるように単なる生物学の解説ではなく歴史や芸術にまで広がる面白い読み物である。いくつか例をあげよう。

 まず第一章アホロートルに敬意を表そう。サンショウウオの仲間だが愛嬌(あいきょう)のある顔で一時人気者になったので記憶している方も多いのではないだろうか。仲間の一つイモリと同じように再生能力が高く、手足を切断しても見事に元に戻す。今やiPS細胞などによる再生研究が盛んだが、自然界での体の形づくりという生命現象の根幹をそのまま見せる彼らの再生には独特の魅力がある。

 生息地がメキシコ高地の湖に限られるアホロートルは、近絶滅種である。その地に栄えたアステカ王国は、湖の中の浮島で育てたトウモロコシや豆などと湖の魚やアホロートルを食べて豊かに暮らしていた。ところが十六世紀にメキシコを征服したスペイン人が湖を埋め立てたのである。メキシコシティは五つの広大な湖の上にある。実験室でお眼(め)にかかる愛嬌者のアホロートルアメリカ大陸の歴史に深く関わっているとは知らなかった。

 次に、イエティクラブに登場してもらおう。深海に棲(す)むカニの仲間、水深二二〇〇メートルの太平洋南極海嶺にある熱水噴出孔近くで発見された。鋏(はさみ)にも脚にも毛が多く、とくに鋏は毛むくじゃらだ。だからイエティ(雪男)なのである。この毛が熱水域での断熱の役割をするとか付着するバクテリアがガスを中和したり食料になったりしているとか、さまざまな説がある。近年深海で、次々と興味深い生きものが発見され研究者の熱い眼が注がれている。イエティクラブは、原始生命誕生の地と推測される場におり、興味をそそる。

 ところで甲殻類は、西洋の文化では醜く異質な生き物と捉えられていると著者は言う。サルトルが『嘔吐(おうと)』で、あらゆる存在への嫌悪感の表現として人がカニのように見え始めたと書いている例をあげて。更に「甲殻類に対して私たちが抱く複雑な気持ちと、ロボットに対する私たちの姿勢には、共通点があるようにも思える」とも言うのである。ロボットとのつき合い方には、技術だけでなくその底にある文化の問題が重要なのだと考えさせられた。

 気になる人間の章を見よう。著者は人間を愛している。よいことだ。それならカニだって愛してあげればよいのにとも思うが。人間の最大の特徴を「意志を疎通して互いに努力する(少なくとも同じグループ内では)という、ほかの霊長類に比べて格段に優れた能力」に見ている。このような研究成果がかなり報告されているのに、実社会はこれで動いているとは思えないところが人間の一番の奇妙さだ。次いでニホンザルを見ると、こちらは「陰謀と策略が渦巻く」闘争社会を作っていると始まるが、アカゲザルから発見された「ミラーニューロン」に触れ、サルの脳には相手に共感する能力も組み込まれているとの指摘がある。人間に近い仲間にあるこの二面は私たちの中にもあるはずであり、言葉を持つことで意志疎通の能力を手にした人間として共感や協力を伸ばしていくことこそ人間らしさであろう。

 近年の科学的成果は、一見奇妙と思える動物たちが、それぞれの環境の中で巧みに生きていることを教えてくれる。人間中心の科学技術社会で暮らしている私たちには奇妙と見えても、そこに生きる本質があるのだ。著者はヴォルテールの『カンディード』の結び「ぼくたちの庭を耕さなければなりません」を引用し、その時に「周りの生き物たちの性質や存在について注意深く観察すれば、さまざまなものが見えてくるはずだ」と言う。そしてチャペックの「テストし、それらに精通し、実地に評価するために、園芸家は一千一百年を要するのだ」という言葉も引く。「私たちが人間らしくあるのは、自分たち以外の他の生命のことを気にかけて行動する時だけだ」という著者の結論に同意し、奇妙な生き物だけでなく身近な生き物もよく見ようとつけ加えたい。(岸田麻矢訳)
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録』=カスパー・ヘンダーソン著」、『毎日新聞』2014年11月30日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141130ddm015070026000c.html





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